糸で修復したペンと、ゴミの話。


相方が気に入って使っているペン。

色違いですが、写真の右側のペンは、グリップのところに糸が巻かれています。グリップの柔らかいプラスチック素材が次第に劣化してベタベタしてきて、最後には少し力を入れただけでボロボロと剥がれてきて、もともとのグリップの代わりに手持ちの糸を巻いたそうです。

グリップが劣化しやすいペンは多いのか、時々そういうことがあります。柔らかい素材のほうが書きやすく感じる人もいるのかもしれませんが、ぼくは鉛筆に慣れているので、固くても気になりません。固くていいので、耐久性を重視したほうがいいのではないかと思うのですが、柔らかいグリップのペンが多いのはちょっと不思議です。

前に使っていた電子辞書も、本体の素材がだんだんベタベタしてきて、すぐに埃だらけになるし、さわり心地がよくないので困ったものでした。長く使うモノに、すぐベタベタしてくる素材が使われていることをいつも不思議に思います。

このペンは100円くらい。「100円のものに耐久性を求めるとは何ごとじゃ!」とだれかに怒られるかもしれませんが、芯を替えて長く使えるわけだし、グリップが劣化しただけで他は問題ないのにゴミになってしまうのも残念です。ゴミと化したペンを世界中から集めると、どれくらいの量になるのでしょう。チリも積もれば、ペンも積もればで、膨大な量になりそうです。先日、ショッピングモール内のもったいない市のようなところで、企業の名前入りの記念品のペンが安く大量に販売されていました。ああいうモノも結局、余分につくられるので最後には行き場に困ることとなります。

破れたグリップの代わりに糸を巻いたペンは、プラスチック素材よりも握り心地がよくなっていました。ゴミをいくら出しても平気な人からすれば、「あなた、新品のペンも買えないのかね!?」と思われる(言われる)かもしれませんが、何でも簡単に捨てて新しいモノを買えば問題が解決するというのは錯覚です。まだ使えるものを平気で捨てていると、地球上がゴミだらけになってしまいます。

昔は自分が出したゴミの行き先なんて、ほとんど考えたこともありませんでした。ゴミ箱に入れて、自分の家からゴミが出て行けばそれでスッキリおしまい、めでたし、めでたし、というストーリーでしたが、今思うと、自分の想像力の欠如が恥ずかしくなります。

うちから車で少し山をのぼったところに、ゴミの埋立地があります。家から出て行ったゴミたちは、結局、こういう場所に放り込まれているだけで、人類がゴミを出し続けるかぎり、そのうち、あちこち埋立地だらけになってしまいます。焼却した際に生じる有害物質、埋め立てによる大地や水の汚染などによって、人間を含めたさまざまな生きものが影響を受け、当然、ゴミを出した自分のもとにも、何らかのカタチで戻ってきているはずです。

完全にゴミを出さない暮らしは難しいですが、なるべくゴミを出さない工夫は案外面白いし、ゴミを増やすのがイヤで余計なものを買わなくなると、身の回りがすっきりし、結果的に快適になってきました。とはいえ、暮らしていると、いろんなゴミが出るものです。ゴミの日にゴミ置き場まで持っていけば、ひとまず自分の家はきれいになる便利なサービスな依存していますが、すべてのゴミを自分の敷地内で処理する必要があるとすれば、ずいぶん困ったことになるなぁと想像することがあります。生きていくうえで必要なものすべてを、身のまわりの自然素材でつくってまかなえば、すべて土に還ってくれるでしょうけど、その技術と体力と時間が足りません。この人生では、現代社会のゴミ収集やリサイクル技術に頼りつつ、なるべくゴミを無駄に出さないように心がけていきたいものです。


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by 硲 允(about me)