「独学」といっても、誰からも教わらずに何かを身につけた人はほとんどいないと思う。
誰かに直接教わらず、本や教材などで勉強して技術や知識を身につけることを一般的に「独学」と呼ばれるけれど、本や教材などの著者から間接的にしろ教わったことに変わりはなく、完全に「独りで」学んだわけではない。
ぼくは言葉を語源で考えることが多いので、「独学」という言葉の意味や使われ方に違和感を感じることがよくある。
言葉を耳で聞いて理解するのが得意な人と、目で読んで理解するほうが得意な人がいる。ぼくは後者なので、何かを学ぶときはたいてい本から入る。お米づくりや野菜づくりにしても、どうやって勉強したのかと時々きかれるけれど、本に教わり、あとは実践しながら学んでいった。
お米づくりは一年目に膨大な時間とかなりの労力をかけて行い、失敗したくなかったので本を丁寧に読みながらほぼその通りにしたところ、うまくいった。
(ちなみに、お世話になったのはこちらの本)
自然農の米づくり【 大植 久美 (著), 吉村 優男 (著), 川口 由一 (監修) 】
野菜は自然農の場合、種を蒔いて草を刈るだけでいいのだと思って最初はほとんど本も読まなかったので、失敗だらけで最初の1、2年は草を刈ってばかりで、野菜は口に入らないのに畑は草刈りの修行場と化していた。
自然農と言っても、放ったらかしではダメで、野菜の種類ごとにちょっとした工夫や知恵が必要になる。畑で野菜や生き物や土や草花を観察しながら自分で学べることもあるけれど、本を読んで先人から学べば学習の速度が加速する。自分でやってみてうまくいかなかった後に教われば、なおさらありがたさを感じる。
ちなみに、最近はこの本のお世話になっている。
これならできる!自然菜園―耕さず草を生やして共育ち(竹内 孝功 著)
「独学」という言葉の意味を考えているときに、ガンジーの言葉を思い出した。
何で読んだのかは忘れたけれど、100%自給自足しないほうがいいとガンジーは言ったという。100%のつもりでも、人間、誰しも誰かに助けられて生きている。そのことを忘れて傲慢になってしまわないように、との戒めのようだ。
何かを学ぶことにおいても、同じことが言えるのではないか。誰からも教わらず、全部「独学」で学んだ気になると、人間、傲慢になってしまう。「独学」に思えても、たいての場合、先人から受け継いだ知識や知恵や技術の恩恵を受けている。それをはっきりと認識すれば、自然と感謝の気持ちが生まれてくるものだと思う。感謝の気持ちが伴えば、学んだ結果生まれてくる創造がますます美しく、喜びをもたらすものになっていくのではないか。
【関連記事】
- 「社会人」という意味不明の言葉について。気に入らない言葉は「使わない」という方法で対処
- 朝から「お疲れさま」と言われてキレた人の話。紋切り型にはユーモアで対処!
- 「勉強って何のためにするの?」と小さな子どもに訊かれたら何と答えますか?
- 「どうして勉強しないといけないの?」インプットよりアウトプット中心の学校教育を
- 目の前の実物を見もせずにスマホで調べる? 現場でのリアルな学びを楽しみたい
- ギターの練習に学ぶ、何かを身に付け上達するために大事なこと。
twitter (@HazamaMakoto)