誰かの話を聞いたり本を読んだりインプットばかりして、自分の考えや想いを発信するアウトプットが足りていないと、気持ちが重たくなってエネルギーが滞ってくる。
アウトプットの形は、人によって好みや向き不向きがある。話すのが好きな人もいれば、文章を書くのが好きな人もいれば、音楽で伝えたい人もいる。その他、アウトプットの形は無限にある。
ぼくは文章を書くのが好きなので、毎日ブログを更新している。エッセイや小説や聞き書きの本もつくっている。来年頃からは音楽も発表していきたいと思っている(今は準備中)。
今年中に完成させたい小説も構想はできているけれど、なかなか進められていない。夏の真昼の暑すぎて畑仕事ができない時間に集中して書く予定。
アウトプットの形によっては、材料や場所や特別な道具が必要だったりすることもあるけれど、ブログはパソコン一台あればいつでもどこでも気軽に書けるのがいい(ぼくは持っていないけれどスマホやタブレットでも書ける)。小説の場合、その世界に入り込むのにエネルギーが要るけれど、日常の延長や隙間で、日常の心持ちのままで書ける。雑記ブログなら、脈略なくその時々に書きたいことを何でも書けるのもいい。文章の他に、写真や動画や音楽なども載せることができて、更新頻度も自由。言論の自由が保障されている国では、基本的なルールさえ守っていれば、何を書こうが基本的に自由で、個人的な媒体なので誰からの期待にも要求にも応える必要がなく、自分の好きなことが書ける。そういう自由さが気に入っている。
文章を書くのが好きとはいえ、ブログを毎日更新していくのはなかなか大変なときもある。時間に余裕があって、書くのも乗っているときは、一日に何本も書いて予約投稿しておくけれど、いそがしい日が続いて書けない日が続くとすぐにストックがなくなる。疲れた頭で夜遅くまでうんうん唸って書くような日もある。そうやって書いた文章にはどうしても疲れが滲んでしまうので、元気なときに書きためておきたいと思っている。
アウトプットの形式によって、アウトプットの内容が規定されてくる、というか、制限を受けたりパターン化してくることがある。ブログでいうと、一つの記事で読みやすい長さというのがあるし、本と違ってたいてい画面で読むし、最近はモバイル端末で読まれることが大半。移動中やちょっとした空き時間、パソコンやスマホをさわったついでに読むことが多いのではないかと思う。意識的、無意識的に、そういう環境に合わせて書くことになる。
ブログをほぼ毎日更新し始めてから約1年半。書くことのテーマや形式や内容がだいぶパターン化してきたように思う。もっと自由に書けるんじゃないかと、最近ふと思うことが時々ある。
表現(アウトプット)というのは、それを行っているときの気持ちがどうしてもそこにこもる。もっと自由な気持ちで楽しくわくわくと表現していく方法を常に探していきたい。
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