「人脈構築」なんていう言葉を聞く(見る)とぞっとする。「人間を何だと思ってるんや」という感じがする。(幸い、そんな言葉を誇らしげに使う人は身の周りにいないけれど)
「人脈」という言葉は、「人」の「脈」と書くので文字を見ると「人と人とのつながり」ということだと思うけれど、通常、「自分の得や利益のために役立つ人間関係」を意味するような文脈で用いられる。
「人脈構築」というと、自分の個人的利益や利己的な都合のために他人とのつながりを利用する、というような薄汚いイメージが思い浮かぶ。自分の得のためだけに他人を利用するのは嫌なので、人脈を築こうとして行動したこともなければ、人脈を築きたいと思ったこともない。そういう「よからぬ」意図をもって他人に近づくとろくなことがないような気もするし、むしろ自分が利用されて終わり、ということにもなりそうな気がする。
自分が何かを実現するために他人の助けが必要で、他人もその実現を望んでいれば、前もって「人脈構築」なんかしておかなくても喜んで協力してくれるものだと思う。
「人脈構築」という言葉には、自分が何かを実現したいけれど、同じ想いを持った人がいなくて自主的な協力が得られないとき、「付き合い」とか「give & take」でしぶしぶ手をかしてくれる人を「確保」しておく、というようなニュアンスが感じられる。
ぼくは自分が実現を望まないことに協力したくないし、自分が実現を望んでいても相手がそうでなければ、しぶしぶ協力してもらいたいとは思わない。お互いがハッピーにならない人間関係なら無いほうがマシだと思う。さらに言えば、お互いに表面的にハッピーでも、その人間関係によって実現されたことが他の人たちの犠牲をもたらすなら、そんな人間関係も無くしていくべきだと思う。
ちなみに、「協力」の重要性を声高に説いておきながら、自分の世話すらできていない人もいるので要注意。そういう人たちは、自分がすべきことを他人に押しつけるために「協力」の重要性を強調し、自分は協力しないのに他人に協力してもらってばかりいる。
“Friends in need is friends indeed.”という英語のことわざを思い出した。本当に困ったときに助けてくれる友人というのは、普通、そんなにたくさんいるものじゃない。Facebookで1,000人友達がいても困ったときに助けてくれる友だちが誰もいないより、Facebookで友だちが20人しかいなくても、困ったときに助け合える友だちが周りに3人いたほうがいい。
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by 硲 允(about me)
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