「勉強」と「学習」の違いとは!? 五味太郎さんの「勉強しなければだいじょうぶ」を読んで

五味太郎さんの『勉強しなければだいじょうぶ』という本、読み始めたら面白すぎて、本を一度も置かずに最後まで一気に読み切った。



「まさに!」と思うことが次々と、面白いエピソードとともに語られていて、笑いながらあっという間に読んでしまった。

五味さんは、「勉強」と「学習」は異なると語る。「勉強」というのは、中国語では「無理をして頑張る」という意味らしい。子どもたちの義務になってしまっているもので、個人的必然のないままに「勉強させられる」というニュアンスのもの。

他方、「学習」というのは・・・
「習う」というのは、僕が興味あることについて、僕が辿る、沿う、真似る。習いながらアレンジメントしていく、つまり再構築していく。そのときに、沿いきれないものがたくさん出てくる、それが個人のさらなる学習作業です。(p.26)

日本では一般的に勉強ばかりで学習が無い風土になってしまって、自分が何をしたらいいのかわからない人がこれほど増えてしまったのが問題だという。

「勉強ばかり」の弊害についてはぼくも常々思うことで、ぼく自身、「学習」といえるものを始めたのは、高校の頃に自主的に英語を学びはじめた頃だった。それまでは、やらされたこと、やらないといけないことを気が乗らないままとりあえるやる、という「勉強」。幼稚園のときにオルガンの音に感動して、習いたいと自分で言って始めたピアノですら、レッスンに通っているうちに、いつのまにか嫌々練習する「勉強」のような感じになってしまい、もったいないことに4、5年で弾くのをやめてしまった。

学校は「基礎学力」をつける場所で、「基礎」を身につけるのが大事、という話もあるが、「基礎学力」について、五味さんは下のように語る。
あくまでも「基礎学力」なんて、いいかげんなものだと思います。基礎学力というけれども、そのこと自体、科学的な検証をしたわけではないんです。一応こういうことを基礎学力としよう、ってなぐらいなものです。それを敢えて言うなら、いわゆる昔の“読み書き算盤”ってやつで十分なんじゃないですか。(p.50)

この世の中に、「一般教養」という不思議な言葉がありますが、これ、ごまかし言葉の代表ね。一般人として知っておいたほうがよい知識、というのが、なぜか設定されたのです。この範囲がまた、広いんですね。一般教養というのを身につけるだけで、だいたい人生終わっちゃうのですよ、ほんとに。(p.53)

大学の授業で「一般教養」という言葉を初めて見たとき、ぼくもヘンだなぁと思ったけど、そのうち聞き慣れてしまった。ぼくはいつ役立つかわからない知識を身につけるのが苦手で、いわゆる「一般教養」がずいぶん欠けているけれど、自分に必要な順番で必要なときに身につけていけばいいのだろうと思う。

絵の世界では、まずはギリシャをはじめとする西洋の古典的な彫刻の石膏像をきっちりデッサンできないとそこから先はない、というルールがあるらしい。五味さんも絵画研究所というところに通って石膏デッサンをされたそうだけど、自分なりの画期的な方法を編み出したそうで、でも、アカデミックな方法ではないので、受験した芸大には、君は来なくていい、ということになったらしい。でも、そんなルールを無視してきても、今では世界中の子どもたちの心に響く絵本を何百冊も描かれている。

いつも、そういう段階的な発展というものを前提にして日々を送っているんです、一般社会人は。
まじめにやっていれば課長になり、部長になり、うまくすると役員になる。未来のために、将来のために、今をコツコツ生きる。
やがて輝く絵描きになれるはずなんだということで、一所懸命デッサンをしているわけです。あんまり面白くないんだけど。(p.60)

今の学校ではこういうマインドセットを植え付けられてしまう。将来の幸せのため、将来よくなるため、将来得するために、今コツコツと頑張る、勉強する。でも、それがカタチを変えて続いていくだけで、いつになったら楽しい毎日を送れるのか・・。

この本を小学生の頃に読めたらよかったなぁと思う。小学校1年生の国語のテキストにしたいくらい(登校拒否の生徒が激増しそう・・)。

親の子どもに対する「愛」の話も深かった。

生まれ出て、あんなに可愛い子を、なんで社会の中に放り出しちゃったの? 幼稚園の先生の言うとおり、学校の言うとおりって、なんでなっちゃうんだろう、ものすごく不思議です。愛しているってことの側面を敢えて冷静に言えば、あなたの人格を認める、その私の人格を認めてってことだと思う。あなたが大事、だから私が大事、お互いが本当にこの世の中で大事だよねっていうことが愛しているという現象だと俺は思うの。恋をしているのとはちょっと違うと思うの。お互いに大事だよねというのを確認し合えている状態が愛し合うということ、そのことについて、なぜ放棄せざるを得なかったんだろう。(p.97-98)

図書館で借りて読んだけど、何度も読み返したい本なので買う予定。

・・・
改訂版も出ています。




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