ひねくれ者と「やらされてる感」。

ぼくは昔から「ひねくれ者」だった。

人に言われたことをするのが嫌い。学生の頃、先生に渡された参考書で勉強するのはやる気が出なかった。単語帳で英単語を覚えるにしても、学校で配られたものだと「やらされてる感」があるので、自分で探して買ったものを使っていた。

学生時代は常に「やらされてる感」が付きまとっていたが、最近になって、ようやくだいぶ自由になった。

学校にしても、「やらされてる感」のない教育ができるはずで、そういう方法をもって取り入れていくべきだと思う。

近所のショッピングモールで時々、小学生の自由研究が展示されている。暮らしの中で自分が興味をもったことを興味津々に調べ、伸び伸びと表現している自由研究もあれば、「やらされてる感」がただよう自由研究もある。「やらされてる感」の出ていない自由研究を見ると、こういうのが本来の勉強よなぁ、と思う。

子どもが「やらされてる感」なく物事を行うには、大人が見本を見せることも大事だろう。「やらされてる感」満々で教師をしていたら、生徒や学生が楽しく教わることができずはずはない。

「やらされてる感」なく自分ができることを書き出してみるのも面白いかもしれない。自分の「好きなこと」と言われて思い浮かばなくても、「やらされてる感」なくできることは、多分、好きなことだろう。「やらされてる感」なくできることをし続けることができれば、多分、楽しく暮らしていける。

かといって、いきなり、毎日、気の進むことだけをして暮らしていけるわけではない。気が進まないけれど、暮らしていくためにはどうしてもせざるを得ないこともある。そのときに、完全に嫌々するのではなく、なるべく「やらされてる感」をなくす方法を工夫するのも人生をなるべく楽しむうえで大事だろうと思う。


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by 硲 允(about me)
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