普段の行動が凝縮したヘンな夢から得られた教訓。

ヘンな夢を見て笑いながら目を覚ますことが時々ある。

昨夜もそうだった。

学校の文化祭か何かが舞台だった。ぼくはステージのピアノに向かっている。

モーツァルトの「トルコ行進曲」を演奏することになっているらしい。ところが、途中から16分音符が連続するところから指がもつれてうまく弾けない(夢ではなく実際の現実でもそうで、毎日のように練習していないとすぐに弾けなくなる)。

本番直前に、そのパートを通常の2倍速くらいで弾く練習をして、必死で本番に間に合わせようとする。横で先生がその様子を見て笑っていた。

いよいよ本番。幕が上がり始めた。上がっていく途中、ぼくは周りにいる人たちに向かって、「この曲は演らんでいいんちゃう? どうせ誰も歌わん曲なんやし」と言った。

今まさに本番というタイミングで、そんなテキトーでいいんかいな、と自分でもおかしくて、笑いながら目を覚ました。

こう書いてみるとそこまでおかしいわけではないが、夢で見ていたときにはやけに面白かったので、この夢について、笑いをこらえながらすぐに相方に話した。

この話にはぼくが凝縮していると、相方は言った。そう言われてみると、たしかに、

  • 準備不足で詰めが甘い
  • 土壇場で間に合わせようと必死になる

というあたり。

現実では、土壇場での準備が間に合って何とか乗り越えることが多いけれど、夢では土壇場であっけなく諦めてしまったところが自分では面白かった。

ぼくは普段、誰かに迷惑をかけるのは避けたいという気持ちは強いほうだが、他人に迷惑がかからないのならあっさりとやめてしまうことがよくある。「どうせ誰も歌わん曲なんやし」というところにそれが表れている。

みんなが歌うのを楽しみにしている曲を無しにするのは申し訳ないが、自分だけが演奏するピアノなら、それを聴くのを楽しみにしている人も大していないだろうし、土壇場で止めにしたところで問題ないだろうと思った。

うつらうつらしながら、この夢から得られる教訓は何だろうと考えた。


  • 本番直前で焦らなくていいように、準備は早めにする
  • 他人に大して迷惑がかからないことであっても、やると決めたことは自分に厳しく完遂する


そんな教訓を得て、再び眠りに就いた。


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by 硲 允(about me)
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