日々の食事から生まれる地域への愛着。「かま屋通信」を読んで


徳島県神山町にある食堂「かま屋」パン屋さん「かまパン」を訪れたとき、「かま屋通信」(2018年9月号)をいただいてきた。

トップページの特集で、フードハブ支配人の真鍋太一さんが「『神山の味』を食べてつなぐ。食べるを通して、地域への『愛着』を考える。」と題された記事を書かれている。

真鍋さんのお子さまたちは、神山の食材が使われた料理を食べながら、「これどこの野菜?」「これだれの野菜?」と聞くという。

「これは、うちのトマト」
「これは、ちえちゃんのジャガイモ」
「これは、宮本さんのナス」

ぼくは最近になって、誰が育ててくれた野菜なのかを意識しながらいただくようになったが、子どもの頃は、そういうことが滅多になった。でも、時々、親戚が育てた野菜や親戚がとってきた魚介類をいただくときは特別な愛着を感じたのを思い出した。

農作物というのは、不思議なことに、育てた人にどこか似ている。そういうのを見て味わって、感じるのも面白い。
真鍋さんは、こう書かれている。

実は地域への愛着は、日々の食べることによる小さな「体験」と「対話」の繰り返しによって、みんなの中に育まれていくのではと思います。

ぼくは4年半前に東京から香川へ移住して以来、地元の多くの農産物のお世話になってきた。育った地名や育てた農家の方の名前や顔写真が載った野菜を買うことが多く、買う度、食べる度に、その土地や人のことを意識する。お会いしたこともないのに、顔を名前を覚えている方もいる。
たしかに、そうやって地域への愛着が深まっていく。「愛着」という言葉もいいなぁと思った。「郷土愛」などというのはどこか空々しくて危ういニュアンスも感じる。自分が暮らす地域への愛着は、学校で教科書を開いて先生が教え込めるものではなく、教え込むべきものでもないはず。その地域での暮らしを楽しみ、食を楽しみ、人や自然との交流を楽しむなかで、自然と生まれてくるものではないかと思う。


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by 硲 允(about me)
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