ヒノキの木琴を叩く子どもたちを見て。もっとチャレンジしやすい世の中に…

月に2、3回、幼稚園や保育園(所)に出向いて、ヒノキの間伐材でできた木琴「ヒノッキン」を叩いている。

昨年まで、子どもたちにてきとうに叩いてもらっていたが、今年から、「カエルのうた」(カエルの合唱)の演奏にチャレンジしてもらっている。

子どもたちの学習能力はすごい。カエルのうたを「ドレミ…」で歌いながら、どこを叩くかをデモンストレーションすると、すぐに叩けるようになる方もいる。

「カエルのうた」を演奏するのが難しそうなら、もっと簡単に、「ドレミファソラシド、ドシラソファミレド」でもいいと言う。それも難しければ、てきとうに叩いてもいい、と伝えることにした。

自分の能力を把握する能力と、チャレンジ精神が試される。

たいてい、「カエルのうた、叩けそうな人?」と尋ねると、半数くらいの手が上がり、「ドレミファソラシド、ドシラソファミレド、が叩けそうな人?」と尋ねると、ほぼ全員の手が上がる。子どもたちはまだ実際に叩いてみていなくても、自分がどこまでできそそうかを把握する能力が予想以上に優れていることを知った。

その後、一人ずつ実際に叩いてみると、「カエルのうた」にチャレンジする方はたいていちゃんと叩けるし、叩けなさそうだと思った方はあっさりと諦めて「ドレミファソラシド、ドシラソファミレド」を叩く。もうちょっとチャレンジしてみてもいいのに、と思うくらい、確実にできる方を選ぶ。時々、「カエルのうた」を叩き始めたけれど途中でわからなくなる方もいるが、どこを叩くかを指でさして教えると、簡単な曲なので最後まで叩ける。確実にできることをするよりも、ちょっと難しくて失敗しながらチャレンジしたほうが、学びは大きい。

このくらいの年齢の子どもたちは、比較的難しい「カエルのうた」を叩けても不健全な優越感をもたないし、「ドレミファソラシド、ドシラソファミレド」で妥協しても卑屈にならないように見える。自分にできる範囲でチャレンジして、自分が楽しむことに没頭し、他人と自分を比べない。誰かが失敗しても笑ったりバカにしたりしないし、自分が失敗しても他人の目を気にしない。いかにも平和な世界だと思う。

それが、小学校に入ったくらいから、テストの成績という数値で自分と他人を比較されて、子どもたちは変わっていくのだろうと思うと悲しい。

そう言うぼくも、同じような環境で育ってきたので、できるようになったことだけを人前でする、という習性が身についている。ところが、最近、ギター教室で、ブルースの下手なアドリブを先生の前で弾くことがあり、これは人前で下手なことをする恥を乗り越える訓練のように感じたことがある。チャレンジ精神を養うには、そういう機会は大事かもしれない。

大人になっても、失敗をおそれず思い切りチャレンジできて、失敗しても笑われず、バカにもされず、何回でもチャレンジし、お互いに励まし合い、高め合える社会になれば、人間は全体的にもっと幸せに生きられるはずなのに、と思う。


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by 硲 允(about me)
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