自分のことを「吹聴」するのが苦手でも、ブログがある。

「あんたは(自分のことを)吹聴するの苦手やろ?」とある人に言われたことがある。

その通り。

仕事を得るには「吹聴」していくことも必要、という話だったが、そこまでして仕事を得ようという気にはなかなかなれない。

ぼくは自分のことについて積極的に他人に話すのは得意なほうではない。相手が明らかに興味を持ってくれている範囲や質問された範囲では話すけれど、それを超えて、自分はこう思っている、こういうことをした、こんなことができる、などと話すのは苦手なほうである。

他人を不機嫌にしてしまうことをおそれすぎているのかもしれない。大事な局面では、他人を不機嫌にしてしまってでも、伝えるべきことを伝えるように心がけているが、普段は、コミュニケーションを穏和な範囲に留めておくことを好む。

ある時、「吹聴」しなくても、ブログを書き続けていれば自分のことを知ってもらえるなぁ、と相方に言われて、なるほど、たしかにそうやなぁ、と思った。

毎日ブログを書いていると、自ずと自分のことが明らかになる。どんな暮らしをしているのか、何に興味・関心があるのか、どんな考え方をする人なのか、何が好きで何が嫌いなのか、何ができるのか…。

ブログを書いているおかげで、うれしい誘いの声を掛けてもらったり、やりがいを感じる仕事につながったり、ということが時々ある。

ブログは会話とは違って、読みたい記事だけ読めるし、読み始めて興味がなかったり面白くなければ途中でやめることもできるし、気が向いたときに読めるので、読み手に任せられているところが大きいのがいい。何本か記事を読んでみて、自分には必要のないブログだと判断すれば、もうアクセスしなければいいだけの話である。

会話だと、話の途中で、「興味がないからもうその話はいい」と言うわけにもいかない。

ブログの場合、書くほうも好きに書いて、読むほうも好きに読める。

SNSは、受動的に流れてくるタイムラインに投稿するので、ブログよりも「押しつけ」感が少し強くなる。一時、Facebookにブログ記事をしょちゅう投稿していたが、「うざがられている感」があり、「負のエネルギー」が距離を越えて飛んできているのを感じた(気のせいかもしれないが…)。

SNSは、広場や居酒屋でみんなで話している感じだが、ブログは、相手の家を訪れる感じだろうか。訪れてみて、「行かなければよかった」と思うこともあるだろうけれど、行ったほうにも責任がある。訪れてみて不愉快なことが続けば、もう行かない、という選択肢を簡単に選べる。
「吹聴」するのが苦手な人には、ブログが向いているかもしれない。


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by 硲 允(about me)
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