表現活動と、受け手に対する意識について。


ものを書いたり、つくったり、何らかのカタチで表現する場合、まずは自分自身がそのことが好きで楽しい、というところから始まる場合が多いと思うが、自分だけの目に触れるところにそれをとどめておくのではなく他人に向けて表現する場合、自分の満足だけではなく、その表現を受けて他人がどう感じるか、ということに対する意識も生まれてくる。

他人のことをどれだけ意識するかは人によるが、その加減が、表現活動において重要だと思う。

全く意識しないことを心がけるのも一つの方法ではある。他人をなるべく念頭におかず、自分が表現したいことを心の向くままにひたすら表現する。それを受けて他人がどう感じ、どう考え、どう行動するかは、他人任せ。なるようになれ。というスタイル。この方法は表現の「破壊力」を高めると思うが、諸刃の剣であり、自分が傷だらけになる可能性も高まると思う。ぼくには真似できない。

反対に、受け手のことばかり考えた表現は、自分の気持ちや思考の自由な流れに抑制をかけて面白味が減じる可能性が高まるように思う。それに、他人を意識し過ぎた余り、自分の表現したいことを存分に表現できていなければ自分でも楽しめなくなるだろう。

ぼくは文章を書き始めた頃、他人の目を気にし過ぎて自由に書けなくなるのをおそれ、基本的に自分しか見ることのないノートに書き続けていた。自分の本当に書きたいことだけを心の向くままに書いていると、書きながら充実感を感じる。そういう書き方を続けなければ、というようなことをよくノートに書いていた。

最近はノートに文章を書くことがほとんどなくなり、誰かが見てくれる前提の場所にばかり書いている。それはそれで面白いし自分のためだけに書くよりも意義を感じるのだけど、昔ノートに書いていたときに感じた「充実感」が薄れてきてしまった。その感覚を取り戻すために、またノートにも書いていこうと思う。

たまには自分の表現方法を振り返り、調整していくことが大事だろうと思う。


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by 硲 允(about me)
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