「表現の自由」は自分のためであり、社会のためでもあるということについて。

by "FREE SPEECH*" / newtown_grafitti


憲法21条には、こうあります。「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する」。

どうして「表現の自由」が重要なのかについて、「伊藤真の日本一わかりやすい憲法入門」に書かれている説明を読んで、頭の中がすっとしました。




それは、「個人が表現活動を通じて、自己の人格を発展させることにつながる」という個人的な価値(自己実現の価値)と、「表現活動を通じて、国民が政治的意志決定をなす際の判断資料を提供する」という意味で、民主政における社会的価値(自己統治の価値)があると考えられるからです。

表現活動が人格の発展につながる、というようなことが憲法の学説で語られていることが意外でした。たしかにそうだと思います。

インプットばかりしていても、表現活動(アウトプット)をしないと、人間、なかなか変化していかないものです。表現することで、自分の考えや思いがはっきりとし、表現したものを外から自ら眺めることで、新たに見えてくるものもあります。表現したものに対して、他人からのリアクションや評価もあります。自分と他者の評価を受けて、自己表現にさらに変化と改良を加えていく。その繰り返しで、(うまくいけば)人格を発展させていくことができます(「人格」と「発展」という言葉をどう定義するかにもよりますが、活発な表現活動をしながら人格を堕落させていく可能性もあります)。

伊藤真さんの説明に戻りますが、「表現の自由」が大事な2番目の理由は、「表現活動を通じて、国民が政治的意志決定をなす際の判断資料を提供する、という意味で、民主政における社会的価値があると考えられるから」。

これは、ちょっと「ほっと」させてくれる考えでもあります。

というのも、理想的と思えるような表現だけに価値があるわけではないからです。あらゆる表現が、「判断材料」としての価値は持ち得る(多かれ少なかれ)。

だから、自分がこうだと思うことは、どんどん表現していったらいいのだと思います。「くだらない」とか「間違っている」とか誰かに言われても、「そうですか、判断材料として使ってくれてありがとう」というくらいの気持ちでいれば、怖いものなしです。とはいえ、まともな意見には耳を傾けて、自分の表現を磨いていかなければ「人格の発展」が遅れてしまいますが。


この本には、「爆弾の作り方」というタイトルの本を出版する「表現の自由」も保障されるのか? という事例が載っています。

「爆弾の作り方」という本の内容が民主政に資する言論かどうかを政府が判断できるようにすると、政府にとって都合のわるい意見を抑え込む危険性があるため、このような表現内容についての判断は、情報の受け手である国民各人の理性的な判断に任せようというのが、「表現の自由」を保障する意図だといいます。

爆弾を作ること自体に対する制裁は、刑罰を科すことなどによっても可能とのこと。

そういえば、自宅でビールを作ることは酒税法で禁止されていますが、ビールの作り方が書かれた本が出版されています。


自分でつくる最高のビール(アドバンストブルーイング)



手づくりビール読本(笠倉 暁夫)



農家が教えるどぶろくのつくり方―ワイン、ビール、焼酎、麹・酵母つくりも(農文協 (編集), 農山漁村文化協会= (編集))


ビールの作り方の本が発売されているくらいだから、家でつくったって構わないだろう、と思ってしまいそうですが、要注意です。本を買って作り方を知るのはOKですが、実際に作ると罰せられます。


「爆弾の作り方などは出版すべきでない」と思う人が、そのような言論を発表することも「表現の自由」によって保障されるわけですし、そうした多様な意見を得ることで、国民の判断材料は増えることになります。

そういえば、学生の頃、祖父母の仕事場でこんな本を見かけました。


買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット)


その後、しばらくして、こんな本も見かけました。


「買ってはいけない」は買ってはいけない (夏目BOOKLET)


「どっちなん!?」と思ったものですが、それを判断するのは国民一人ひとりの問題で、どれかの本に答えが書いてあると思い込むのは危険で、どれも結局は判断材料として活用していくべきです。

そのうち、「『買ってはいけない』は買ってはいけない」は買ってはいけない、という本が発売されるんちがうん!?と言ったのを思い出しました。


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