女木島港で借りたレンタサイクルで、あてもなく島をぐるっと廻ってみることにしました。港から海沿いを西に向かうと、山(タカト山)を登ることになりました。
「岬の白灯台」という案内があったので、自転車を降りて歩いてみました。
たしかに白い灯台がありましたが、近くに行っても仕方がなさそうだったので引き返しました…。
ずっと登りの山道で汗だく。だんだん山深くなってきました。
雨で岩が崩れたのでしょうか。
木陰は涼しいです。途中、ヘビが2匹現れました。
ようやく、大きな道路に抜けました。
洞窟(鬼ヶ島大洞窟)が近いらしく、せっかくなので行ってみることにしました。
車だとぐるっと廻る必要がありますが、真っすぐ登れる歩行者用の道がありました。
急な階段が続きます。「もうちょっと!」と、登る人たちを励ましながら、洞窟の係の人が駆け下りて行きました。
もうすぐです…
洞窟の入るのは有料で、ここで入場券を買います(大人500円)。
橋本仙太郎さんという方がこの洞窟を発見されたそうです。
女木島は別名「鬼ヶ島」とも呼ばれ、桃太郎伝説の舞台です。桃太郎のモデルは、吉備の国の稚武彦命(わかたけひこのみこと)で、讃岐の国にやって来たとき、その土地の住民たちが鬼(海賊)の出没に苦しんでいることを知り、犬、猿、雉(きじ)を率いて鬼せ征伐した、という伝説があります。
ちなみに、猿はぼくの住む綾川町の陶の猿王という地域に住む勇士だったと言われているそうです。犬は備前の犬島、キジは雉ヶ谷の勇士とされ、桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったので、雉ヶ谷が今の「鬼無(きなし)」という地名になったと言われています。
さて、鬼が住処にしていた洞窟の入口はこちら。
入ると寒いくらいひんやりとしています。
洞窟まであと少し、というところまで一緒に来た相方は疲れて待機していたので、ぼく一人で入っていきました。洞窟までバスも行き来していますが、ちょうどバスで来た観光客一行が帰ったタイミングだったらしく、洞窟の中には他に誰もおらず、静まり返った洞窟は不気味で先に進むのがためらわれました…。
洞窟の中の小部屋にはいろんなものが展示されています。
これは「オニノコ瓦」という、過去の瀬戸芸で出展されたアート作品。暗い洞窟の中で見るとかなり不気味です…
ここは、かつて鬼たちが金・銀・財宝を隠していた宝庫室。手前に大きな一枚石があり、奥の宝物が見えにくい設計になっています。
ここで会議をしていたらしい。
ここは仏間。鬼の犠牲になった人たちを後世の人たちが弔っていたと言われ、今も毎年8月23日に慰霊祭が行われているそうです。
おそろしい監禁室。洞窟が発見された当時は、大きな石の扉が壊れたまま残されていたらしい。
出口近くの天井。ノミの形跡があり、この洞窟は自然にできたものではなく、人工の洞窟だとされています。
ここは鬼大将が住んでいた大広間らしい。
やっと出口! 入口から出口まで約400メートルあるそうです。けっこう長かった…
この鬼ヶ島大洞窟は、紀元前100年頃につくられたとされています。そんなに前だとは。実際に使われていた場所だけあって、ただならぬ雰囲気が漂っていました。
出口から元の場所に戻る途中にある展望台からの眺め。
こちらの仏像は、「日蓮大聖人大露座像」。来る途中、「日連山」という看板を見たので、その頂上ではないかと思います。
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