「女性は人前に出るときに化粧をしないと失礼」と考える人がいるようだ。そんな考え自体が失礼だと思う。
「男性が正式な場に出るときに髭を剃ったほうがいいのと同じこと」と考える人もいるようだ。比べるものが違っているだろう、と思う。
自然なものか、人工的なものか、ということをぼくは先ず考えた。
髭は自然に生えてくるものなのだから、それを無理矢理剃らせる、ということ自体に違和感を感じる。生やしたい人は生やせばいいし、剃りたい人は剃ればいい。他人の髭をとやかく言うのは余計なお世話だと思う。伸ばした髭を「きたならしい」と思う人もいるようだが、それも植え付けられた固定観念だろう。同じく伸びていても、清潔な髭もあれば、不潔な髭もあるだろう。
化粧はしていないのが、人間の自然な状態だ。その状態で人前に出ることに対して「失礼」というのは、どういうことか。その人本来の姿は人前に出るに値しないのだろうか。
化粧をする、しないのも、本人の勝手だ。化粧をしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。他人の容姿や身なりについて口出しするとロクなことがない。
TPOとかいって、こういうシチュエーションではこういう格好をするものだ、という社会的通念やマナーなんていうのもくだらない。好きなときに好きな格好をしておけばいいと思う。「他人に不快感を与えるのはよくない」と考える人もいるだろうし、不快感を与えないにこしたことはないと思うけれど、同じような格好を求められることに対する不快感はどうしてくれよう。
自分の格好によって他人に不快感を与えれば、それなりの結果がその人の元に返ってくることになる。だからぼくも、いろいろなことを秤に掛けて、不本意な格好をして人前に現れることもある。
ルールや規則、常識、社会通念、マナー・・・そういったものは、どんな時でも誰にでも都合がいいというものではない。一部の人間の得にしかならない、というものも多い。一つずつ、自ら精査してみる必要がある。そのうえで、それに従ったときと従わなかったときの結果をはかりにかけ、毎回の行動を決めていれば、くだらないルールやマナーなどは少しずつ減っていくのではないかと思う。
人間、創造性や独創性が衰えていると、自分で考えるのをストップし、規定のルールやマナーなどに従っているかどうかだけで物事を判断しがちになる。そして、そこから外れている人間を見つけては糾弾して、優位に立ったつもりになってしまう。
女性の化粧について付け加えておくと、女性はきれいに化粧して着飾って、見た目で男性を喜ばせるもの、という男尊女卑的考えもあるのだろう。「身なりをかまわない女性はけしからん」とでも言うような。余計なお世話だ。身なりにかまうか、かまわないかは、本人の自由であり、他人がどうこう言う問題ではない。
ちなみに、一般的な化粧品は、肌への刺激が強く、日常的に化粧をしていると肌に負担がかかることも懸念される。小学生くらいの年齢で化粧をしている方を見かけると、肌が心配になるとともに、肌の美しいそんな年齢の頃から化粧をしたくさせる世間のマーケティングに対していらだちを感じる。化粧をするのもしないのもその人の自由であり、好きにするのがいい、といっても、「~したい」という願望や欲求は、他人の都合によって戦略的に生み出されているものであることが多い。自分の本当の望みは何なのか、自分で見極められるようにならなければ、簡単に世間の操り人形になってしまう。
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by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto)
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自然なものか、人工的なものか、ということをぼくは先ず考えた。
髭は自然に生えてくるものなのだから、それを無理矢理剃らせる、ということ自体に違和感を感じる。生やしたい人は生やせばいいし、剃りたい人は剃ればいい。他人の髭をとやかく言うのは余計なお世話だと思う。伸ばした髭を「きたならしい」と思う人もいるようだが、それも植え付けられた固定観念だろう。同じく伸びていても、清潔な髭もあれば、不潔な髭もあるだろう。
化粧はしていないのが、人間の自然な状態だ。その状態で人前に出ることに対して「失礼」というのは、どういうことか。その人本来の姿は人前に出るに値しないのだろうか。
化粧をする、しないのも、本人の勝手だ。化粧をしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。他人の容姿や身なりについて口出しするとロクなことがない。
TPOとかいって、こういうシチュエーションではこういう格好をするものだ、という社会的通念やマナーなんていうのもくだらない。好きなときに好きな格好をしておけばいいと思う。「他人に不快感を与えるのはよくない」と考える人もいるだろうし、不快感を与えないにこしたことはないと思うけれど、同じような格好を求められることに対する不快感はどうしてくれよう。
自分の格好によって他人に不快感を与えれば、それなりの結果がその人の元に返ってくることになる。だからぼくも、いろいろなことを秤に掛けて、不本意な格好をして人前に現れることもある。
ルールや規則、常識、社会通念、マナー・・・そういったものは、どんな時でも誰にでも都合がいいというものではない。一部の人間の得にしかならない、というものも多い。一つずつ、自ら精査してみる必要がある。そのうえで、それに従ったときと従わなかったときの結果をはかりにかけ、毎回の行動を決めていれば、くだらないルールやマナーなどは少しずつ減っていくのではないかと思う。
人間、創造性や独創性が衰えていると、自分で考えるのをストップし、規定のルールやマナーなどに従っているかどうかだけで物事を判断しがちになる。そして、そこから外れている人間を見つけては糾弾して、優位に立ったつもりになってしまう。
女性の化粧について付け加えておくと、女性はきれいに化粧して着飾って、見た目で男性を喜ばせるもの、という男尊女卑的考えもあるのだろう。「身なりをかまわない女性はけしからん」とでも言うような。余計なお世話だ。身なりにかまうか、かまわないかは、本人の自由であり、他人がどうこう言う問題ではない。
ちなみに、一般的な化粧品は、肌への刺激が強く、日常的に化粧をしていると肌に負担がかかることも懸念される。小学生くらいの年齢で化粧をしている方を見かけると、肌が心配になるとともに、肌の美しいそんな年齢の頃から化粧をしたくさせる世間のマーケティングに対していらだちを感じる。化粧をするのもしないのもその人の自由であり、好きにするのがいい、といっても、「~したい」という願望や欲求は、他人の都合によって戦略的に生み出されているものであることが多い。自分の本当の望みは何なのか、自分で見極められるようにならなければ、簡単に世間の操り人形になってしまう。
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