車は一見効率的だけど、人類全体の自由時間を増やしたのか?

機械化のおかげで、農業は効率化したように一見見えるが、機械の設計・原料調達・製造・マーケティングなどに費やされている労力を考慮に入れると、機械を使わずに人力で作物を育てたほうが全体で見ると実は効率がいいという。自然農法を提唱した福岡正信さんがどれかの本にそのようなことを書かれていた。

エンジン式の草刈り機で通路の草を刈りながら、車もそうだろうな、とふと思った。

車を使うと、長距離をあっという間に移動できるが、その車が生み出されるまでに、莫大な労力がかかっていることだろう。原料を土から掘り出すところから始まり、その加工、車体の設計、製造、走行テスト、マーケティング、流通、販売…さまざまな行程を経て、ようやくユーザーのもとに車が届く。さらに車を走らせるには、道路をつくったり、免許や保険の制度をつくったり、違反者を取り締まる制度も必要で、それぞれの分野で膨大な労力が費やされている。これらを合計してみた研究は存在しないと思うが、ぜひ誰か調査してくれたら面白そう。

人間の自由な時間が増えたように見えて、実は、自由な時間は減っているのではないだろうか。

車で移動するにしても、自分が行きたい場所へ行ったり、したいことをしたり、会いたい人に会いにいくことに使われるよりも、気が進まない移動に使われていることが多いのではないかと思う。

現代社会で車に乗っている人たちは、「いいとこどり」しているのではないかと思う。物価や賃金の安い国で、車の製造に関わっているとしても、車を購入する余裕がないことが多いだろうし、購入しても割に合わないこともあるだろう。工業先進国の人々が購入した場合に、その国々の平均的な賃金を考慮して割に合いそうな価格が設定されている。購入費や維持費が高すぎて、歩いたほうが余程いい、というのでは、誰も買ってくれなくなる。

だからどうの、というのは難しいが、草を刈りながらそんなことを考えた。


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by 硲 允(about me)
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