学校の教室掃除のアイデア。世の中で必要な能力を身につけるには?

家では掃除機を使わず、ほうきで掃いている。小学生の頃もほうきと雑巾で教室の掃除をしていたなぁと、ふと思い出した。

机と椅子を全部、最初は後ろのほうに寄せて、埃を教室の前半分から後ろ半分に向かって掃き、その後、机を前に寄せながら、埃をさらに後ろに掃いていく。

そういえば、この時点で机を元の位置に戻すように指導する先生と、一端前方にかためてから最後に元の間隔に戻す先生と、二通りあったように記憶している。掃くタイミングをうまく合わせれば、この時点で机を元の位置に戻すことができ、そのほうが効率がいい。「こっちのほうがいいやん!」と思ったような記憶がある。

それにしても、そういう掃除の方法を先生が最初から指導するのではなく、まずは子どもたちに考える機会を与えたら頭の訓練になるのに、と思った。

どうすれば一番効率的に、気持ちよく、きちんと掃除できるか。子どもたち同士で案を出し合う。なぜその方法がいいのかという理由も話す。最初はこうと思っても、ほかの人の話を聞いて、やっぱりそのほうがいい、と意見を変えてもOK。

4つの案が残ったとしたら、その方法を1日に1つずつ、4日かけてみんなで全部試してみる。そのあとで、その方法がよかったかをまた話し合う(実際にやっていても、どれがよかったと思うかは人によって異なるだろう)。どの方法がよかったか、理由も話したうえで、それぞれ、何人の人がよかったと思ったかをカウントする。

その後の掃除では、多数決で一番多かった方法だけで行うのではなく、Aの方法が70%、Bの方法が20%、Cの方法が10%の子どもたちが選んだなら、その割合でそれぞれの方法を実施するのがいいように思う。

たとえば1ヶ月、その方法で掃除をしてみて、またみんなで話し合う。1ヶ月続けていると、みんなの意見はまた変わってくるだろう。新しいアイデアも出てくるはず。そうやって子どもたちが自分の頭と身体を使って考えながら、掃除を方法をどんどん改良していけば実践的ないい勉強になりそうに思う。科目の知識も大事だけど、そういう能力は世の中ですぐに役立つ。

自分の頭で考え、人の話を聞き、議論し、実践で試して検証し、また考え・・・の繰り返し。他人が関わる場合、ものの言い方も大事で、言い方一つで客観的にはよさそうな方法でも取り入れてもらえなくなる場合があることも学べる。自分だけが常に正しいわけではなく、みんなで考えたほうがいいアイデアが生まれることもわかる。

学校という小さな共同生活の場では、うまく機会をとらえればそういう学びがたくさん生まれる可能性があると思うが、先生が「指導する」だけのスタイルでは、そういう学びの機会を逃してしまう。ぼくの学生時代は先生の指導に従っていればそれが無難で、従順さが高く評価されたが、最近はどんなものだろう(子どもたちの精神状態が落ち着いていなければ、「統制」をとるので精一杯ということも多いだろうと想像する・・・)。


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by 硲 允(about me)
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