「好きなことを仕事にする」ことについて思ったことを徒然と。


「好きなことを仕事にする」という本をつくったのは、好きなことを仕事にできる人がもっと増えたらいいのに、という想いがあった。

「好きなことを仕事にする」なんて言うと、反感を感じる方も多いかもしれない。

・好きなことなんて特にない
・好きなことを仕事にできるほど世の中甘くない
・好きなことを仕事にできる人は才能のあるほんの一握りの人だけ
・好きなことでも仕事にすれば好きでなくなるだろう
・仕事でお金をたくさん稼いで、好きなことは余暇ですればいい

などという声が頭の中で浮かんでくる。

・好きなことなんて特にない
日常がいそがしくて、気が向かないけれどしなければいけないことに追われていると、自分の好きなことをしている時間がなくなってしまう。

でも、探せばどこかにあるかもしれない。子どもの頃はどうだっただろうか? 仕事をしなくてもお金が入ってきて、毎日自由に過ごせるとしたら何をして過ごすだろう?

寝ているのが好き。だらだらしているのが好き。そういう人もいるだろう。それは、毎日好きじゃないことをしすぎて疲れているからかもしれない。ぼくも寝るのが一番の楽しみだった時期もある。でも、来る日も来る日もだらだらして寝てばかりいたら、何か生産的なことがしたくなってくるもの。

・思い浮かべたら明るい気持ちになるもの
・楽しみで待ちきれなかったこと
・時間を忘れて没頭したこと
・笑顔になっていたとき

そんなことをリストアップしてみると何かが見えてくるかもしれない。


・好きなことを仕事にできるほど世の中甘くない
「仕事は辛いもの」「仕事は退屈なもの」「仕事は大人になったらお金を得るために気が向かなくてもしなければいけないもの」
子どもの頃から、大人の話を聞いて、大人の姿を見て、そんなふうにいつの間にか思わされる。

たしかに、「好きなことを仕事にする」といっても、ラクラクで楽しいことばかりではなく、辛いときや退屈なときもあるだろう。しかし、自分が本当に望むものをその仕事によって生み出しているなら、そういうネガティブなことを経験しているときですら「やりがい」を感じられるし、それを乗り越えていくことへの喜びも大きいのではないか。

楽しいことを仕事にしていると「罪悪感」を感じてしまう人がいてもおかしくないくらい、仕事は嫌々してしかるべきものだという考えが多くの人の心に根付いている。

誰でも「好きなことを仕事にできる」くらい「甘い世の中」にするにはどうすればいいのか。みんながそのことをもっと真剣に考えて行動すれば、そういう世の中になるのではないか。


・好きなことを仕事にできる人は才能のあるほんの一握りの人だけ
本来、誰もが才能を持っているはずだが、それを伸ばす環境が与えられない場合が多い。小学校に入学する前は、生き生きとしている子どもが多いが、学校で何時間も椅子に座らされて先生の話を聞かされているうちに、自主性が奪われ、自分で考え、感じる時間が奪われ、才能の出口の栓が閉じられる。

長年栓が閉じられていても、中に眠った才能は枯れきっていないはず。栓が閉めらたことを思いだし、無理矢理にでもこじ開け、自分の才能をあふれさせることは、大人になってからでもできるはず。


・好きなことでも仕事にすれば好きでなくなるだろう
よく聞く話だが、そういう実例は知らない。好きなことを仕事にしようとすると、いろいろな困難も伴うかもしれないが、好きなことを続けるためならそれを乗り越えようという気になれるし、乗り越えたあとにはさらに視界が開け、仕事の面白さが深まるのではないか。


・仕事でお金をたくさん稼いで、好きなことは余暇ですればいい
余暇の時間だけで満足できればいいが、自分が望まないものを生み出す仕事に人生の大半を費やして幸せな人生といえるだろうか。

今の社会で生きていくにはお金が必要。ただし、自分の人生を幸せなものにするために必要なものを確保するために最低限必要な金額を見定めておかなければ、あればあるほど安心だということでお金のために働き続け、日々の幸せを犠牲にして、人生の幸せに寄与しないものを買うためのお金まで稼ぐことになる。


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