インプットばかりではアウトプットの意欲が失われ、他人のあら探しを始める危険性について。



本を読む、セミナーに参加する、誰かの話を聞く、音楽や映画や絵画を鑑賞する・・・これらはインプット。

文章を書く、イベントを開催する、誰かに話す、音楽や映像や絵画や造形などの作品をつくる・・・これらはアウトプット。

最近は、アウトプット主体の暮らしをするように心がけているけれど、前まではインプットばかりしていた。主に読書と音楽鑑賞。本をいろいろ読むと知識が増えて何やらエラくなった気になりがちだけど、それを自分のアウトプットにつなげていかないと、何のためやらわからない。音楽にしても、好きな音楽に浸りすぎると、音楽の世界にいるのが心地よくなって、そこから抜け出せなくなる。

たくさんインプットしていると、だんだんいいものがわかるようになってきて、そうなると、自分のアウトプットがつまらないものに思えてくるということもある。自分のアウトプットへの自信のなさの裏返しで、他人のアウトプットの揚げ足取りや欠点探しばかりし始める危険性もある。

そうならないようにするには、インプットしつつ、常日頃から自分でもアウトプットしていくことが大事。小説ひとつとっても、読むのはあっという間だけど、書くのはずいぶん時間がかかる。読んでみてくだらない小説だと思っても、自分でくだらない小説をひとつ完成させようと思ったらかなり大変な労力を要するのがわかる。

アウトプット主体の暮らしを心がけていると、たとえば本の読み方も変わってくる。ぼくは前まで、本は最初から順に最後まで隅々まで読まないと気がすまなかったが、最近は、自分がどういう情報を必要としているかをあらかじめ念頭に置いて読むようにしていて、そうすると自分のアウトプットに直結する情報が目に留まって、アウトプットにつなげていきやすくなることがわかった。相方は前からそういう読み方をしていて、本屋でちょっと立ち読みしたあとでも、なにかしらすぐに活用できる情報を仕入れているが、ぼくは「何か面白いことあった?」ときかれて「特に・・・」と答えるのがいつものパターンだった。ぼくは本が好きで、本屋に行くと情報の波にのみこまれそうになるので、今日は何について調べよう、何の本を探そう、と目的をはっきりさせてから行くようになった。

他人の悪口ばかり言っている人間は、たいてい自分がすべきアウトプットから逃げている。自分のアウトプットを高めていこうと思ったら、他人の悪口を言って時間を浪費している暇はない。

自分でも満足できるアウトプットができたときは喜びが大きいけれど、アウトプットにはインプットよりもエネルギーを使うので、ついついラクなインプットに逃げてしまいやすい。

「インプット過多に注意」「アウトプット主体の暮らしを」。いつの間にか忘れてしまっていないか、ときどき自分に問いかけたい。


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