こどもたちの絵に触発され、「好きなことをする」ことについて徒然に。



本を返しに綾川町立図書館へ行ったら、近所の小学生たちの絵画や書が展示されていた。

ヘチマを手にしてうれしそうにしている絵や、桶と洗濯板で洗濯をしている絵など、生き生きと描かれていて、すごいなぁと思った。こどもたちの心の中に、大きくて光輝く世界が広がっているように思えた。それを絵にする根気とエネルギーもすごい。細かいところまでよく観察して、丁寧に描いている。時間の感覚が、仕事に追われる大人たちとは違っているように思えた。

絵や書が展示されていたのは学校の一部のこどもたちで、他の表現手段のほうが得意なこどももいるだろう。スポーツが好きな人もいれば、文章を書くのが好きな人もいれば、造形物をつくるのが好きな人もいる。こどもの頃に、自分の好きなことや得意なことを見つけられたらいいなぁと思う。保育園や小学校低学年くらいのこどもたちは生き生きとしていることが多いが、学校で退屈な授業を聞かされて一日中イスに座らされているうちに、好きなことをする意欲がしぼんでくることが多いのではないか。

他の人たちと比べられるのもよくない。それぞれにいいところがあるはずなのに、お決まりの基準だけで判定が下される。テストの点数、授業中の態度(従順なのが望ましいとされる)、足の速さ、学校に来た日数(学校よりためになる場所や機会があっても、学校を休まないのが望ましいとされる)などなど・・・。「物」のように管理がしやすいように、背の順や名前の順で並ばされる。

ぼくは従順なこどもだったので、当時は何の反発も感じなかったが、今思うと、ずいぶん学校という場所に飼い慣らされていた。先生たちがよしとするカタチに自分を合わせようとしていた。今思うと、もっと自分の能力を開花させる過ごし方があったはずだと思う。

学校ではいろんな勉強をさせられるが、「何のために?」という問いと答えが軽視されている。「いい」学校に進学するため? 「いい」会社に就職するため? 「いい」会社って何? たくさん給料をもらえてつぶれる心配のない会社? お金の心配のない暮らしをすることに、こどもは夢を描けるだろうか?

今のところ、退屈な仕事や嫌な仕事をしている人がたくさんいて、この社会は回っている。一気には変われない。でも、全員がなるべく好きなことだけをして暮らしていける世の中にすることは可能なはず。一気には変えられない。でも、自分一人から、変わっていける。そして、自分の周りの人たちにも働きかけていける。

ぼくは一時期、自分のやりたいことは何だろうと悶々と考えていたこともあるけど、最近は、やりたいことだらけで、暮らしを少しずつ変えていき、なるべくやりたいことだけをして暮らせるようになってきた。文章を書くのも好きだし、庭や畑や森で植物と関わるのも好きだし、暮らしの手仕事(料理や木工、壁塗りなど)も好きだし、音楽も好きなのでギターの練習を始めた。

好きなことをして暮らしていくうえでネックとなるのはお金だ。たしかに、現代社会で生きていくためには、お金が必要。ぼくは学生の頃に英語の勉強に夢中になっていたので、そのおかげで今は翻訳など英語関係の仕事で最低限のお金は得られている。東京で暮らすとなると家賃を稼ぐだけでも大変だったが、香川に移住して、家賃は10分の1くらいになり、畑で野菜が育ち、いろんなお裾分けをいただくこともあり、生活費がかなり減った。いきなり好きなことだけをして暮らしていくのは無理だけど、少しずつ、気の進まないことを減らして、好きなことをする時間を増やしていける。フリーランスで仕事をしている場合は、そういうなだらかなシフトがしやすい。会社に勤めていても、会社に拘束されない時間を有効活用して、会社なしでも好きなことをして暮らしていける体制を整えていくことは不可能ではないと思う(もちろん、自分のやりたいことができる会社なら辞める必要はないと思いますが)。

みんなが好きなことを仕事にして暮らしていける世の中になったらいいなぁという願いを込めて「好きなことを仕事にする」という本をつくっていますが、来年からは、「好きなことカフェ」というのも始めようと構想中です。決まったらこのブログでもお知らせします。

http://makotomo.handcrafted.jp/items/1648203


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