学校で男女共に「さん」づけ、「あだ名禁止」についての私感。

「かがわ・山なみ芸術祭」にて

『男尊女子』(酒井順子 著)という本を読んでいると、著者の姪(小学生)の話を聞いていると、学校では男子も女子も先生から「さん」づけで呼ばれるという話が出てきた。昨今では小学校でも「ジェンダーフリー」に敏感になっているらしい。




ぼくが小学生の頃は、どの先生も、女子には「さん」づけ、男子には「くん」づけだった。その違いについて疑問に思ったことすらなかった。

ネットでちょっと調べてみても、やはりそういう話が出てきて、児童同士でも「さん」づけで呼ぶように指導している学校もあるようだ。

LGBTQの人たちもいるし、「男」と「女」をくっきり分けることは難しい(くっきり分ける必要もないのだろう)。いわゆる男子には「くん」づけ、いわゆる女子には「さん」づけ、と区別すれば、両者をくっきりと分けることになってしまう。自分は「くん」づけよりも「さん」づけで呼ばれた方がしっくりくるのに、とか、反対に、「さん」づけよりも「くん」づけのほうがしっくりくるのに、という子どもたちもいることだろう。

ぼくの個人的な感覚としては、先生が生徒の名前を呼ぶときは、「さん」づけと「くん」づけで分けるよりも、全員「さん」づけで呼んだほうがいいのではないかと思う。大人になったら性別の区別なしに誰に対しても「さん」づけで呼ぶわけだし、子どもの頃から全員「さん」づけで差し支えないのではないだろうか。

学校によっては、「あだ名」禁止のところもあるらしい。「あだ名」と「ニックネーム」の線引きは難しいが、多分「ニックネーム」も禁止だろう。子どもたち同士でも「さん」づけで呼び合うように指導されているらしい。それによって子ども同士のケンカが減った、という経験談もあった。たしかに、「さん」づけで呼び合っていれば感情的になりにくいかもしれない・・大人の対応が求められる感じがする。

とはいえ、子ども同士で「さん」づけでは関係がどこかよそよそしくなってしまわないだろうか、とも思ったが、それはぼくが子どもの頃に友だちと「さん」づけで呼び合った経験がないからかもしれない。「さん」づけで呼ぶ相手は年上のことが多く、「さん」付けにたいしてそういうニュアンスが自分の中に染み着いている。ぼくは自分が話す言葉による影響を受けやすいようで、「です・ます」で話すか、「タメ語」で話すかによって、心の開き方が違ってくる傾向を自分で感じるけれど、子どもの頃から誰に対しても「さん」づけで呼んでいれば、「さん」づけの相手に対してもフランクに話しやすくなることがあるかもしれない。

それにしても、あだ名(ニックネーム)禁止はちょっとやりすぎだという気もする。相手が嫌がるあだ名(ニックネーム)で呼ぶのはよくないと思うけれど、相手が呼ばれてうれしいニックネームで呼ぶことまでできないというのは、強権的すぎるように思う。

一括で「さん」づけ、ということにすれば手っ取り早いかもしれないが、相手をどう呼ぶかを決めるというのはなかなかクリエイティブな作業でもあり、その機会を子どもたちから完全に奪ってしまうのも考えものだと思う。子どもたちは、相手のキャラクターを読みとって、それに合わせてユニークなニックネームを発明する(時にそれが悪意に基づくものであったりすることが問題にもなるわけだけど・・・)。そうやって呼び名を考え合い、呼び合うなかで、関係性を築いていく。その関係性が好ましくない方向に行かないように、先手を打って呼び名から規制していこう、というわけだけど、それで問題が解決するとも限らない(多少の効果はあるだあろうけれど)。

基本的なルール(全員を「さん」づけで呼ぶ、など)を決めつつ、それに加えて、お互いが心地よく、お互いにさらによい関係を築いていくための工夫ができる余地を残しておくのも大事かと思う。自分がクラスメイトや先生にどう呼ばれたいか、子どもたち一人ひとりが自分で考えてそれを共有し合うのもいいかもしれない。


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by 硲 允(about me)
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