注意力を鍛えるには?記憶力がないのは注意力の低さが原因らしい。

日本の学校の勉強では特に記憶力が重要になってきますが、その「記憶力」自体を高める方法を学校で教わったことがありません。集中力や注意力なども高いほうが勉強の効果が上がりますが、これらの能力を鍛える方法も普通、教わらないことが多いと思います。

「頭のよさ」というのは生まれつきある程度決まっていると考えている人も多いのかもしれません。学校で同じことを同じように教わっても、すぐに理解して記憶して応用できる人と、なかなか理解できなくて暗記するのも苦手、という人もいます。その差はどこから来るのでしょうか?

「あの人は頭がいい」という言い方をしますが、生まれつき頭がよかったのか、育ってきた環境が頭脳を鍛えたのか。現代科学ではどう言われているのか知りませんが、ぼくは、生まれた後でも、何歳になっても、いつからでも頭脳は鍛えることができて、やろうと思えば頭はよくなるものだと思います。

ぼく自身、記憶力はあまりよくない方ですが、最近、これではヤバいと思って、記憶力を高めようと日常で心がけています。前に読んだ『記憶力 成功をもたらす無限の力』(ウィリアム・W・アトキンソン 著、ハーパー保子 訳)という本を読み返しているところで、ここに書かれた記憶力の高め方がとても参考になります。



学校でいろいろ記憶させられたけど、なんで最初にここに書かれたことを教えてくれないんだ!と、この本を初めて読んだときに思いました。「記憶力」というのはなんとなく漠然としたもので、記憶力の良し悪しは人によるものだと考えがちで、自分の記憶力を意識的に高めようとトレーニングしたことのある人は少ないと思いますが、この本で紹介されているようなトレーニング(日常の中で簡単にできるものも多いです)を行っていれば、確実に記憶力が高まるはずです(ぼくの記憶力も少しはマシになってきました)。

この本ではまず、記憶力を高めるには注意力を高めることが重要だと力説されています。

頭脳のレベルに大きな個人差があるのは、理性という抽象的な能力の差ではなくて、注意力の度合いの差であり、注意力はすべての知的能力のベターハーフのような存在であるとも言われています。(p. 27)

とのこと。

「注意力」というものがそれほど重要なものだと言われているわりには、なぜかその鍛え方について具体的に教わる機会はほとんどありません。

注意力を集中させていなくても、人間は五感を通して受け取った印象はすべて潜在意識の貯蔵庫に保管されているそうですが(何か重大な出来事がきっかけになって、完全に忘れていたことを急に思い出した人の例がいくつか紹介されています)、たいていの印象は、記憶力を使って意識的に思い出そうとすることがないため、顕在意識の領域ではほとんど役立ちません。そこで、何かを(顕在意識で取り出せる)記憶として焼き付けるには、最初に印象を受け取ったときに注意と意識を向けることが必要だといいます。たしかに、ぼーっと街を歩いていても何も頭に入らず何も覚えていませんが、お店や人など、何かが気になって注意を向け、その注意力が強ければ強いほど印象に強く残り、あとから思い出すことができます。

学校の教科書を読んでいても、何の興味もわかず嫌々暗記しようとがんばっていてもなかなか覚えられませんが、興味のひかれることが書かれていて他よりも注意を向けた箇所はすぐに覚えられるものです。「記憶力の乏しさは注意力の乏しさである」「ぞんざいな観察の習慣と不完全な記憶は双子である」という言葉が紹介されていて、なるほど、と思いました。

ぼくは記憶力を鍛えてきませんでしたが、それは注意力を鍛えてこなかったからだと思いました。唯一、意識的に記憶力を使ってきたのは、高校生や大学生の頃に英単語を覚えまくったことくらいでしょうか。そのときは、英語に対しては精一杯注意力を使っていたので、それなりに記憶できました。英語を覚えられても他のことを覚えるのが苦手なのは、注意力を怠けさせてきたからでしょう。

この本では「興味のないものにも意思の力によって注意を向ける」ことについても書かれていて、これも非常に大事なポイントだと思いました。
能力が発達した人は、興味のないものにも意志の力によって注意力を向け、手に入れたい情報が頭に入るまで、その注意力を留めておくことができます。そういう人は意志の力で、非常に興味のあるものから、退屈で興味の湧かないものに注意力を移動させることもできます。(p. 41)

退屈で興味の湧かないものに注意力を向けてこなかったなぁ、と思います。だから、意志の力による注意力が鍛えられなかった。

こうも書かれています。

能力の発達した人は、ほぼどんなものにも何か興味を見出します。そのため、同じものを見たり考えたりしても何も興味を感じない未熟な人よりも、ずっと注意力を集中しやすくなります。(p. 41)

たしかに、周りで頭がいいなぁと思う人は、どんなものにも興味を示し、どんな話題を振っても興味をもって聞いてくれます。最初は興味をあまり感じないものを含めていろんなものに注意力を使っているうちに、幅広い分野における知識が蓄積され、ますますいろんなものに注意を向けやすくなるのだろうと思います。

最初のうちは、目の前に現れたものに興味がわかなくても、がんばって意志の力で注意力を使うことが重要なのでしょう。

子どもの頃はいろんなものに興味を示す人が多いですが、年をとるにつれ、「自分の領域」を決め、それ以外には興味を示さなくなることがよくあります。そうすると、意志の力で興味のないものにも注意力を使わない限り、注意力を使う機会が減り、頭脳を怠けさせることになって、それが認知症などにもつながっていく可能性があるのではないかと思いました。

ただし、注意力が重要だからといって、目の前にあるもの全てに対して全力で注意力を使っていては、たまたま目の前にあるものに注意力を支配されてしまいます(朝、新聞が届いたとして、隅々にまで最大の注意力を使って記憶に刻む、なんてことをしていたらそれだけで一日が終わってしまいそうです…)。

人間として発達した人のもう一つの能力は、好ましくない対象物は自分の注意、つまり顕在意識の領域から締め出してしまえるということです。(p. 41)

と書かれています。この場合も意志の力を使い、興味のないものに注意力を集中するときと同じようなやり方をするとのこと。

この本では、さらに具体的に、注意力を使って観察するときに重要な目を鍛える方法、聴覚を鍛える方法、人の名前を覚える方法、数字を覚える方法などが紹介されています。

こういうトレーニングをするかしないかで、仕事や日常のあらゆる活動の生産性が違ってきそう。もっと早く出会いたかったオススメの一冊です。




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by 硲 允(about me)