「憧れ」のリスク



「憧れ」や「憧れの人」がある(いる)のは、危険なことでもある。

「危険」というと大げさかもしれないけれど、自分自身を見誤るリスクにつながることもある。

憧れの人のようになろうとしたり、そのために意識的・無意識的に真似したり、というのは、自分自身になり切る遠回りになることがある。

憧れの人のどういうところがいいなぁと思っているのか、冷静に分析してみるのはいいかもしれない。その部分に惹かれていても、ある部分では自分とはタイプが違って真似してもしょうがないかもしれない。憧れの人になろうとしても、それは無理なことだし、同じ人は一人だけで充分だし、自分自身になり切ったほうがたいてい幸せに生きられるものだろう。

自分自身になり切るには、小さなところからでも、アウトプットしていくことが大事なように思う。自分の頭と心と身体を使ってなにかをしたりつくったりしていると、そこに自分が見えてくる。憧れを意識的・無意識的に真似してみても、どこか自分にはしっくりこないところが見えてくる。情報によるインプットを控えるのも有効なことが多い。他人が加工した知識ではなく、自分の頭を使った思索や自分の全身で得た体験が積み重なって自分らしさがつくられていく。


【関連記事】

by 硲 允(about me)