女性向けの制服にスラックスを追加したり、性別の縛りをなくしたりする形で制服に選択肢を設ける県立高校が全国で600校を上回った、というニュースを読んだ。
女子もスラックス可 制服選べる公立高、600校超に(日本経済新聞)
「トランスジェンダー」という言葉を最近よく見聞きするようになったが、外見で判断される性と、自分で認識する性が、世間の固定観念で認識されたり押し付けられたりするものとは異なる人たちが、学校の制服という制度に苦しめられることがあるという。
性に関して悩みなく暮らしていたとしても、女性でスカートが嫌いだったり、男性でスラックスが嫌いでスカートを履きたかったり、そもそも制服が嫌だったり、制服に関する悩みや問題や不都合はいくらでもあるだろう。
上の記事で、学校関係からの「男子として生まれた生徒がスカートをはいていたら、いじめられるのでは」という声が紹介されているが、学校というのがどういう場所か、この話が物語っているように思えた。そういうリスクをふまえた上で、本人が判断すればいいだけの話だと思う。いじめられる可能性があるから、外見的特徴による区分けによる性によって一律の制服を着せる、というのはいかがなものか…。そもそも、「男子として生まれた」とのことだけど、それは身体的特徴だけの話で、心は女として生まれた、とすれば、「男子として生まれた」と言うのは一面的な押し付けで、この表現自体、偏見や差別を感じさせる。
そもそも、制服なんて無くていいんじゃないかと思う。自分が心地よく着られるものを着たほうがよっぽどいいのではないかと思うけれど、生徒を一律で管理するのに制服は役立つのだろうか。服装を自由にすれば、服装に関するいろんな問題が起こるリスクがあるとの主張もあるだろうけれど、私服OKの学校でそんなに問題が多発しているだろうか?
自分の服を自分で選ぶことは、自己表現の機会にもなり、美的センスを養う機会にもなる。お金に余裕のある家庭とそうでない家庭で差が出てしまう、という意見もあるだろうけれど、そういうところでこそ、学校が何か工夫や対策をすればいいようにも思う。まだきれいな服を寄付してもらったり集めてきて、空き教室にずらーっとかけておいて、生徒が好きに持っていったり着なくなった服を置いていってもらえるようにしても面白いかも。縫い物や織り物の授業を設けて、自分で服をつくれるようにするのもいいと思う。その気になれば、買うよりも安くつくれるし、自分の好きにつくって色や形での表現を楽しめる。
何はともあれ、自分が着たくもないものを着る、というような行為は、どんな理由があれ、いついかなる時にも不必要なものだと思う。個人的には、そんなことを強要される場所には即刻サヨナラを言いたい。
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