『さらに大人問題』(五味太郎)を読んで。子どもを叱る教師について…

五味太郎さんの『大人問題』が面白かったので、『さらに大人問題』も読みました。



最初の『大人問題』が出版されたあと、五味太郎さんのもとにいろんなメッセージや相談などが寄せられたそうでうですが…
はっきり言って、皆さん堅いんです。重たいんです。真面目なんです。ぼくはただおもしろがっているのですから、少しズレます。で、そのズレがまたとてもおもしろいので、そのあたりのこと、またちょっと書いてみたくなりました。

とのこと。

テーマは、「学校問題」、「家庭問題」、「結婚問題」、「老人問題」、「からだ問題」、「一般社会問題」、「教育問題」、「人権問題」にわたります。

学校問題についての文章の一つ…
子どものころ、ハンカチ・ちり紙を忘れて、先生に怒られたとか、通信簿に「忘れ物が多い」と書かれたという人、けっこう多いと思います。あの、忘れたことを「叱る」というのはなぜなのか、ぼくにはいまだによくわかりません。(p. 16)

たしかに…。今はそう思いますが、学校にいた頃は、忘れものをして叱られることに疑問を感じていなかったのだから、おそろしいことです。それが当たり前だという考え方がいつの間にか埋め込まれて、疑問すらもたない。従順な子どもは特に危険です。

ぼくは忘れものをして叱られるのがイヤだったので、小学生の頃は途中から、毎日、全教科の教科書やノートを持ってきていました。ランドセルが重たいのに、叱られるよりはマシでした(でも、そのせいで腰をわるくしてしまったかも…)。
忘れると「不便だ」というのは確かにあります。でも、たとえば、学校に鉛筆を持っていくのを忘れたとしても、誰かに借りるとか、落っこちてるのを探すとか、書かないで覚えちゃうとか、いろんな手があるはずです。忘れ物ばかりしていると人生つまずくから、出世できないから、そういうくせを直してあげようという親心だとでもいうのでしょうか。もし、そうだとしても、だから「叱る」というのはやっぱり変です。(p. 16)

小学生の頃、教科書を忘れたら隣の席のクラスメートにお願いして、席をくっつけて一緒に見せてもらっていました。その時点ですでにだいぶ気まずいのに、先生は「~くん、また教科書忘れたん?」と責めてくるものです。隣席のクラスメートは快く見せてくれているのに。教科書を忘れたときの授業の45分間はいつもより長く感じたものでした。
先日、ある学校に招かれて現役の先生方を相手に講演をした際に、このハンカチ・ちり紙問題について、「今も生徒が忘れたら叱ってるんですか」と聞いたのですが、まず笑いが出ない。その理由を聞いても誰も答えられないので、驚きました。

理由が答えられないというのは、子どもが忘れ物をしたら叱るものなんだと、先生たち自身も自分で考えてみることなくそういう行動パターンをいつの間にか埋め込まれているのでしょう。自分がそうされたから、ということでしょうか。

ぼくは大学生の頃、いろんな塾や英会話教室などで教えるアルバイトをしていましたが、進学塾では、生徒が宿題をしてこなかったりしたら叱るように教え込まれました。生徒を十分にこわがらして言うことを聞かせられるように、大声を出す訓練までさせられました。踏切内に閉じこめられて、電車が来ているのに逃げられないという状況で出す叫び声くらい大きな声を出すんだと言われ、さすがのぼくもここはヤバいと思いました。従順だったぼくは試しに大声で叱ってみましたが、一回くらいしか効果がなく、そんなもんやろなぁと思いました。ひるまずに堂々と宿題をしてこなかった生徒のかたくなさというか、打たれず強さに「いいね」という感じでした。その塾はすぐに辞めました。
教師、教える人がいつのまにか評価する人、指導する人、矯正する人なんて立場に化けたのでしょうか。そういうのが好きな人が教師になりたがるのでしょうか。

ほんまに。そんな教師は子どもたちにとって有害だと思いますが、今だにそんな教師が多いのでしょう。困ったことに。教師に限らず、子どもを評価、指導、矯正したがる大人は多いものです。余計なお世話です。

そういえば、80歳を過ぎた活動仲間と保育園か幼稚園を訪れたとき、その方は、自己紹介で子どもたちに向かって「今日はひとつ、おともだちになってもらえたらうれしいです」と言うのを聞いて「すごいなぁ」と思ったのを思い出しました。


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by 硲 允(about me)