「自分の時間」


「自分の時間」というのは、ちょっと面白い言葉だとふと思った。

「自分の時間がない」とか、「自分の時間が足りない」とかいう。

自分が生きている時間はある意味、すべて自分の時間なのかもしれないが、自分の時間だとは思えないような時間もあることはたしかだ。

自分が本当はしたくないのに、誰か他人や、なんらかのシステムや慣習や、なんらかの成り行きで嫌々されていると、それをしている時間は、もはや「自分の時間」ではなくなってしまうということだろう。

早く時間が過ぎないかなぁ…などと思って過ごす時間は、自分の時間だとは思えないことが多いように思う。学校時代を思い出すと、つまらない授業中はそんな時間だった。

この頃は幸い、早く時間が過ぎてほしいと思いながら過ごすようなことはめったになくなった。思いつくのは、やりたいことをするために必要な資格を得るために、講習会で聞き飽きた話を聞くような時くらいだろうか…。やりたいことはありすぎて、時間が足りないと思っていることが多いが、早く過ぎてほしいと思うよりはよっぽどいい。早く過ぎてほしい授業の連続だった学生時代は退屈でつまらない時間が多く、「自分の時間」をかなり奪われていたが、最近はようやく取り戻したように感じる。

「自分の時間」と思えるような時間は、一気に増やすのは難しいことが多いが、少しずつなら工夫すれば増やしていけることが多いのではないかと思う。やりたくないことをなるべく減らしたり、やりたくないけれど、どうしてもやらなければいけないなら、それをなるべくイヤではない方法を考えて試してみたり、ちょっとした空き時間でできる楽しいことを探したり…。