慈しんで食べる

慈しんで食べるようになったね、とぼくが朝食に野菜のエチュベを食べるのを見ながら相方が言いました。たしかに、昔に比べたら…。

別に、慈しんで食べようとか、感謝して食べようとか、食べるときにいちいち考えているわけではもちろんないですが、だんだん、変わってきたのでしょう。昔は、お腹を満たすためだけに食べている、という感じでした、そう言われてみると。

何を食べるかにもよるやろなぁ、と思いました。自分の畑で育った野菜や、親しみを感じる方が育てたものや、応援したい気持ちがわいてくる人たちがつくったものを食べていると、自然と、わいてくる感情や気持ちというのがあります。機械で機械的につくられたいかにも人工的な食べものも、感謝して慈しみながら食べたほうが体にはよさそうだとも思いました。カップラーメンを慈しんで食べる姿を思い浮かべて、なんだか面白くなりました。相手に自分をチューニングする、というところがあるように思います。食べる相手、食べものに対して、自分を合わせる。慈しんで生み出されたものに相対するときは、そういう気持ちが勝手に生まれてきやすい。日々、何を食べるか。どう食べるか。それがその人の未来のあり方をつくっていくところは大きいのではないかと思います。