「やりたい派」の学校嫌いの提言

『自分を好きになる技術 人を受けいれる技術』(蓮村誠 著)という本を読んでいると、人によって「知りたい派」と「やりたい派」に分かれる、という話が書かれていて、なるほど~と思った。ぼくは明らかに「やりたい派」だと思った。人がやってることをなんでもやりたくなるし、知識を蓄積していくのは苦手。ちょっと知ると、すぐにやりたくなる。知識を入れすぎると窮屈な感じがしてくる。基本、自分でやり進めながら、困ったときにちょっと知識を入れて、またやりながら進んでいく、というのが心地いい。

学校が窮屈で退屈だったのは、ぼくが「やりたい派」だということもあると思った。日本のよくある学校では普通、実行はせずに、知識をどんどん蓄えていくのが勉強だとされている。知識をもとに考えたりもするけど、手にとれるものを相手にしてなにかをつくっていくようなことはほとんどしない。ほとんどの授業では、教科書とノートと筆記用具しか必要としない。

そういえば、工作の授業とか、料理をつくったり、ミシンでバッグをつくったり、そういう授業は楽しめた。こういうのは勉強というよりも、遊び感覚だった。こういう授業がもっとあったらいいのに、と思うのは「やりたい派」だからだろうか?

どういう学びかたをすれば、楽しみながら効果的に自分が必要なことを学べるかは、人それぞれに違いない。これが絶対にいい、という一つの方法、というのはあり得ないように思う。人それぞれ、その人に応じた学び方を実現できる学校があればいいのにね。せめて、「知りたい派」と「やりたい派」のコースに分かれていれば、退屈や窮屈を感じずに学びやすくなるかも。知りたいことを知りたいときに知って、やりたいことをやりたいときにする。そういうのが自然で無理がないと思うし、子どもの頃からそういうのが当たり前であれば、それぞれの才能が自然と開花していくのではないかと思う。そんなことを可能にする学校がこれから増えていくことに期待!