世間でやっていくための演出と抑制。自分を見つめ直す時間を


他人に遠慮して自分の考えや想いを発信しなかったり、他人に迎合して自分の考えや想いを歪めて発信したりを続けていると、そのうち自分の本当の考えや想いを見失ってしまうおそれがある。

会話の場合、たいてい、自分が話すテーマは相手の興味や関心に左右される。相手の反応によって、どこまで踏み込んで話せるかが違ってくる。自分の普段の考えや想いを何でも話せてさらに相手の反応によって深めていけるようなときもあるけれど、そこまで仲が深まっていない相手の場合、そのテーマの表面をさらうだけになりがち。

「書く」コミュニケーションというと、現代社会ではメールやSNSが主流になった。メールは会話に近い。SNSではメールに比べて「演出」が入ってきがち。SNSの場の雰囲気に合わせて発信しているうちに、なんとなく自分のSNS上の「キャラ」ができてくる。キャラを演じるには、自分の一部の性質やモードを際だたせる必要がある。SNS上でのキャラがそのうちリアルにも拡張してくることもある。

SNS上では人間が歪められ「矮小化」されていると感じることがよくある。実物の本人を目の前にすると、実際の「大きさ」に安心感を覚える。文章で伝えられることには限界があるので、そういうのはSNSに限ったことではないけれど、SNSでは特にその傾向が強いように感じる。

本当の自分になりきるといっても、ふつう、考えたことや思ったことを何でもそのまま誰にでも発信していたら、他人を傷つけ自分も傷ついて疲弊して世間ではやっていけなくなるのがオチだろう。

だから、ある程度、抑制が必要になったり、「演出」の出番が来たりする。得意な方法は人によって異なる。ぼくは演出が苦手なので、抑制の方向に行きがち。「演出派」はおしゃべりになりがちで、「抑制派」は無口になりがちだろう。

その加減がなかなか難しい。ある程度必要だとしても、やりすぎると自分を見失ってしまう。演出している自分が本当の自分に見えてきたり、抑制しすぎて本当の感情や想いが生まれてくる出口にフタをしてしまうようなこともあるかもしれない。

そういうことを防ぐには、たまにはスマホやパソコンから離れて、ゆっくりと自分を見つめ直す時間が大事だろうと思う。


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by 硲 允(about me)
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