部活の先輩・後輩の上下関係にうんざり。年齢を気にせず自分のペースで生きていこう

ランニング posted by (C)葱

電車に乗っていると、同じくらいの年齢に見える学生の片方がもう一方に頭を下げて挨拶しているところを時々見かける。

部活の後輩と先輩なのだろう。先輩はたいてい偉そうな身振りで対応する。入学や部活に入った年が1つや2つ違うくらいでふんぞり返るなんてバカらしい慣習だと思って毎回うんざりする。

ぼくは中学校のときはバスケ部だったので、先輩・後輩で同じような上下関係があった。1年生の練習はまず校庭を10周走って、それからようやく体育館に入って筋トレをして、先輩の玉拾い。先輩たちが帰ってから、体育館がまだあいていれば、つかの間、自由に練習ができる。後輩にジャンケンを仕掛け、負けた後輩の肩にパンチを食らわす先輩もいた。

先輩たちもその先輩たちから同じように扱われてきたのだろう。抑圧や暴力は連鎖しがちだけど、どこかでそれを断ち切らなければ終わらない。

ぼくらの代か、その一つ上くらいの代からは、後輩に偉そうに振る舞う人はいなくなってきた。体育館のスペースが限られているので、後輩がグラウンドを走ったり玉拾いをしたり、というのは変わらなかったけれど、目線が対等になってきたように思う。

美的センスも移り変わりもあるかもしれない。先輩が後輩にエラそうにするのをかっこいいと感じるか、ダサいと感じるか。ぼくにはダサいと感じられる。

学校という箱の箱の中に閉じこめられ、画一的なシステムの中で興味をもてない知識をつめこめられ、自分の才能を発揮できないでいると、ヘタすると誇れるものが「相手よりも年齢や学年が上」ということくらいになってしまうのだろう。エラそうに振る舞っている相手が形式的に頭を下げたところで尊敬も親しみも感じていないことは、ちょっと想像力を働かせば誰でもわかる。

今後、一般的な学校に行かない人が増え、働き方、生き方が多様化していけば、年齢はますます意味をなさなくなっていくように思う。

この歳でこんなことをしていてすごい、とか、こんな歳なのにまだこんなんで、とか、人間の成長や能力を年齢を基準にして判断されることが多いけれど(ぼくもしてしまいがちだけど)、年齢を気にしてお互いの幸せに役立つことはあまりない。この歳なのにまだこの程度の人間で・・と思うときは、その分長生きするように努めて時間をかけて成長するのがいいと思う。人間の成長のスピードは人それぞれ。ウサギ型の人もいれば、亀型も人もいれば、亀が途中でウサギに変身する人もいればその逆の人もいるだろう。自分のペースで生きていけばいいのだと思う。


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by 硲 允(about me)
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