庭から見た日の出 |
世の中には、たいして書きたくなくて書いた文章が溢れている、と2ヶ月くらい前にふと思った。
小説にしても、最初は書きたいテーマやメッセージがあって書いても、小説家として書き続けて生計を立てていくには、たいして書きたいことがないときでも書かなければならない。インターネット上の記事にしても、原稿料しかもらえず効率重視とウケ狙いで書かれたものが多い。
SNSが人気なのは、友人や知り合いが書いている、というのもあるけれど、「書きたくて」書いている、というのも大きいように思う。文章というのは、書いたときの気持ちがそこにこもる。つまらないなぁと思いながら書いたものよりも、楽しく面白がって書いたもののほうが、読むのも楽しく面白いことが多いように思う。
文章に限らず、写真にしても、絵にしても、ダンスにしても、あらゆる表現には同じことが言えるだろう。自分の納得のいくものを生み出そうと思えば、苦しい局面もあるけれど、根本的には自分自身が楽しんでいてやりがいを感じていなければ、受け手の心に深く響くものにはなり難いと思う。
「好きなことを仕事にする」というテーマで書いたぼくの記事に対し、それはライバルが存在するから論理的に不可能、と書かれた記事を見かけたことがある。ぼくはむしろその逆だと考える。
世の中には、たいして「好きじゃない」ことを仕事にして生み出されたものがあふれている。残念ながら、作り手や関係者が本当に好きなことをして生み出されたものだと感じる製品やサービスに出会うことは少ない。だからこそ、本当に好きなことを追求して何かを生み出していれば、実はライバルが少ない、ということも大いにあり得る。
もちろん、「好きなこと」をして、すぐにそれで生計を立てていくのはなかなか難しい。「好きなこと」を追求し続け、腕を磨きながら、誰かが必要とするものを生み出し、それを届けていくには時間がかかる。時間がかかるから、普通は、「好きじゃない」ことをして手っとり早く生計を立てる手段を見つける。「好きじゃない」ことにもライバルは存在する。「好きじゃない」ことにはオリジナリティが生まれにくく、ライバルの商品やサービスと似たり寄ったりになりがちで、値段や見せ方で勝負してお互いに疲弊していく。すぐには「仕事」にならない「好きなこと」を、毎日少しずつでも取り組んで10年以上続ける人は少ない。10年、20年と「好きなこと」に取り組んでいれば、他の人には簡単にマネできないその人ならではのものができてくるものではないかと思う。
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