Facebookは居酒屋に似たところがあると、時々思う。
いろんな人が集まって、おしゃべりに興じている。しかも、家族も友人も先生も仕事仲間も一度だけ会って顔を思い出せない人もみんな勢ぞろい。どうでもいい話をしてみたり、真面目な話をしてみたり、写真を見せ合ったり。大人数の飲み会では、話は席の近い人にしか聞こえないけれど、ここでは自分の言葉が何百人、あるいは何千人に届く。だけど、返事がかえってくるのはたいてい決まった何人か。考えてみると、奇妙な居酒屋だ。
居酒屋で集まるにはそれなりに時間もお金もかかるけれど、Facebook酒場にはいつでもどこでもクリック一つで飛んでいけて、行けばいつでも誰かが何か話している。会話に入って行きたいときだけ入っていけばいい。その気になれなければ、そっと退出すればいい。
リアルの居酒屋で集まるのは、「たまに」だからいい。毎日のように同じメンバーで居酒屋に集まっていても、話すネタも尽きてくる。話すネタが尽きないような相手もいるけれど、話してばかりだとお互いの人生の生産性が落ちていく。
暇さえあればFacebookなどのSNSをのぞいているのは、居酒屋通いでしゃべってばかりいるのと同じで、自分のことに集中してすべきこと・したいことを進めていけなくなる危険性があるのではないかと思う。自分ではあまり投稿しないで他人の投稿を見てばかりいると、さらにその危険性が高まる。「今日もまた、他人の動向を追っていたら一日が終わっていた」「人生、他人の動向を追っているうちに終わってしまった」ということになっては悲しい。
同窓会にしても、年に一度、あるいは数年に一度だからいい。その間のお互いの人生について語り合い、明日から再びそれぞれの人生を歩んでいくエネルギーやヒントやつながりを得る。毎日集まって同窓会をしていたら、お互いの成長が阻害されるだろう。ところが、SNSでは毎日のバーチャルな同窓会が可能になる。
ぼくは一時Facebookをやめていて、去年あたり再開したけれど、最近はほとんど投稿していないしタイムラインも見なくなった。「あの人、どうしてるかなぁ?」と思うことはよくある。用もないのに連絡するのもなぁと思ってタイムラインを見にいくこともあるけれど、それよりも直接連絡したほうがお互いハッピーかもしれない。facebookのタイムラインでお互いの状況がなんとなくわかっているような気になるのもおそろしい。本当に大事なことはそんなところには書かないことも多い。
SNSは便利なこともあるけれど、道具は使いよう。気をつけないと、Facebook酒場に入り浸りでアル中になり、しょっちゅうアクセスしないと落ち着かず、「いいね」に溺れて人生を棒に振った、ということになりかねない。
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