翻訳や文章を教わったある方から、「他人の文章に手を入れるのは戦争」、というような話を聞いたことがある。
他人が書いた文章に手を入れるのは、それくらい対立を引き起こしやすいことだという意味。「戦争」は大げさかもしれないけれど、たしかにそれくらい慎重になるべきことだと思う。
何かを言葉にして表現する際、自分が言い表したいことにぴったりする言葉を自分で探す。ぴったりの言葉が見つからなくて、誰かに直してもらったほうが自分の言いたいことをぴったり表せて、その表現に納得できる場合はいいけれど、自分の意図しない内容に直されるのは誰だってイヤだと思う。
文章を表面的に勉強している人のなかには、安易に他人の文章に手を入れまくって得意になる人がいる。たとえば、語尾を簡潔にしたり、より短く言い表せる表現に入れ替えれば引き締まったいい文章になると考える。そうすることで、たしかにすらすらと読みやすい文章になるかもしれないけれど、元々の文章にこもった書き手の人格や性質の色が薄れ、冗長な中にこもった機微が失われてしまうことも多い。ぼくは読みにくかろうが意味が取りにくかろうが、当人が書いたそのままの文章が読みたい。
その点、ブログは自分が書いたそのままの文章を即座に発表できていい。本を出版社から出す場合、たいてい、編集者が「赤」を入れる。著者が納得した部分だけ「赤」を反映してくれればいいけれど、そうでない場合も多いのではないかと思う。最近読んだある本では、文体がその著者のブログで読むのとずいぶん異なるものになっていて、著者の言葉を読んでいる気がせず、残念に思った。たしかに文章は簡潔で読みやすいけれど、著者の存在感が薄れ、編集者から伝え聞きしているような感じがした。
具体的な例を挙げて考えてみたいと思う。
元々の文章がこれだったとする。
「夜中に奇怪な音がして目が覚め、布団から跳び起きて電気をつけてみたら、読みかけの新聞の上を巨大な蜘蛛が歩いていた。」
これをこう直してみる。
「夜中に奇妙な音がして目を覚ました。ベッドから跳び起きて電気をつけると、巨大なクモが読みかけの新聞の上を歩いていたのだった」
どんな感じだろう。
「奇怪」が「奇妙」に変わっている。「奇妙な音」というほうが聞きなれたコロケーションかもしれないけれど、もともと著者が書いた「奇怪」という表現を何の確認もせずに書き換えてしまうのは問題だと思う。しかし、そういうことはよくあるのではないかと思う。
最初の文章は1文だけど、手入れした文章では2文に分かれている。ひとつの文が短いほうがさくさくと読みやすくなる場合が多いけれど、この場合、目が覚めてまだ夢うつつの状態で起きあがってクモを発見するまでの動きの連続性を出すにはあえて1文を長くするのもありだと思う。文章法の定型的なテクニックにとらわれすぎると、そういう効果を見逃してしまいやすい。
「布団」が「ベッド」に変わっている。「布団から跳び起きる」というのもあまり聞かない表現なので勝手にベッドにしてしまったのだろうけれど(こういう直しもありがち)、実際にはベッドを使っていないとしたら、文章を直すどころか事実が歪められてしまっている。
「電気をつけてみたら」が「電気をつけると」になっている。「つけてみたら」は口語的な表現なので、本の原稿なら、たいてい直されるところだと思う。文章を書きなれていないと、口語表現がたくさん混ざってきて、それを全部編集者が書き直していくうちに、編集者の文体になって、その文章を読んでも著者の顔が浮かんだり声が頭の中で聞こえてきたりしなくなってしまうこともよくあるのではないかと思う。
最後も大きく変わっている。
まず、書き直された文章では、主語の「巨大なクモ」を頭にもってきている。文章の頭に主語をもってくるのは原則だけど、この場合、ぼくならあえて後ろにもっていく。「読みかけの新聞の上」を先にもってきて、そのあとで「クモ」を登場させることで、クモを見つけるまでの課程の映像が頭の中で時間順に浮かんでくる。先に「クモ」を出してしまうと、「クモだったのか」とすぐにわかってしまい、新聞の上に目を走らせるとクモがいた、という臨場感が伝わってきにくい。
「歩いていた」が「歩いていたのだった」となっている。こういう直しもありがちだけど、こういう語尾に著者の人柄や性質が表れるので、安易に手を入れるべきではないと思う。
「蜘蛛」が「クモ」に直されているけれど、これも「好み」の問題が大きいので、著者の好みに任せておけばいいと思う。
直された文章について、著者と編集者でこのように一つひとつ議論していたら、とうてい出版の締め切りに間に合わないだろう。だから、著者は不満が残ったとしても妥協せざるを得ないところもあるように思う。
上の例を見て、「どっちでもいいんじゃない?」と思う方も多いかもしれない。「どっちでもよくない」というこだわりをどこにもつかは人それぞれ。人それぞれのこだわりをお互いに大事にしていけたらいいのになぁと思う。
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