「テキトー」と「どうでもいい」について。

普段から「テキトー」にしていると、「テキトー」にするクセがつく。

文章にしても、だらだらと雑な文章ばかり書いていると、それがクセになる。ブログは隙間時間にスマホでさっと読むようなシチュエーションが多いだろうから、あえて文章を多少くずしているけれど、書いていてどうもまとまりがわるくて間抜けな記事になりそうなことがあり、そんなときは途中まで書いても全部消してしまう。それで「よし」とすると、そんな文章を書くクセがついてしまいそうなので。

力み過ぎないように「力を抜く」のは大事だけど、気持ちが雑になるのは避けたい。気持ちが雑になっていると、自分でも何をしたいのか、何を生み出したいのかがぼやけてきて、自分がしたことの結果として何が生まれるかについて無責任になりやすい。気持ちが雑なまま身体を動かす仕事をしていると、手元や足元がくるってケガもしやすくなる。

何でも「テキトー」でどうでもいいよ、という感じで生きていると、自分が望まないかたちで他人が自分の人生に干渉してくることを許してしまいやすいように思う。「テキトー」「どうでもいい」というのは、自分で考えて結果を意図して「選択する」のを放棄することでもある。どうでもいい、と思っていたら、どうでもよくない事態に陥ってしまった、というのは避けたい。

「どうでもいい」と思うのは、「どうにもできない」ように思える状況に落ちってやけっぱちになっている時が多いかもしれない。そんなときこそ、一つひとつ整理して、どうにかできそうなことを一つでも片づけていくことが大事かもしれない。

「どうでもいい」と思うのは、他人に選択権を握られて、自分では「どうにもできない」ような状況にあるときかもしれない。そんなときこそ、一つずつでも自分の選択権を取り戻していくことが必要なのだろう。

by 硲 允(about me)
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