忍耐力をつけたい。一つのことを続けることについて



ぼくには忍耐(の経験)が足らないと、相方によく言われる。

自分でもそう思う。幸い平和な家庭で育ち、生まれてこのかた苦境や逆境に陥ったことがないので、否応なく忍耐力が鍛えられる経験をしてこなかった。

「忍耐」といって思い浮かぶのは、香川に移住して一年目のお米づくり。機械を一切使わず、来る日も来る日も草刈りをし、1ヶ月近く手で田植えを続け、身体を酷使し過ぎて何度か熱を出して倒れた。中学校でバスケ部だったときは、毎日へとへとになるまで練習したけれど、大人になってから自分の身体の限界に挑戦することになるとは思わなかった。

身体よりも、どちらかというと精神的な忍耐が足らない。飽きっぽく、関心があちこちに移り、一つのことをものにするまで続けることがあまりない。ピアノは幼稚園のときに始めて4、5年でやめたし、バスケットは中学生のときだけだし、大学生の頃は通訳者になりたくて訓練していたのに卒業する頃には気が変わった。

一つのことを10年以上続ける人はめったにいないとよく言われる。大学生の頃にディベートを教わっていた先生が、ディベートを始めても10年続ける人はほとんどおらず、10年続ければかなり上達する、というような話をしてくれた。結局、ディベートは2年くらいしか続かなかったけれど、10年続ければ、という話はたしかにそう思う。

10年続けたこと、といって思い浮かぶのは英語くらいか。高校生のときに英語の勉強が好きになり、大学を卒業する頃くらいまで、修行のように勉強していた。通訳者になるのはやめたけれど、英語の勉強を続けていたおかげで、翻訳を仕事にしていくことができた。英語を使う仕事を始めてからは、英語の勉強用の本を買って勉強するようなことはなくなったけれど、仕事をすることで勉強になるので、英語の勉強は10年以上続けてきた。10年間、毎日のように何かに取り組んでいれば、それを誰かの役に立てられるくらいのレベルに高めることができるように思う。

日本語で文章を書く練習を始めてから5~6年が過ぎた。ありがたいことに、エッセイや小説などを書いた手製本やブログを読んで喜んでくれる方に時々出会う。小説は書いていて苦しいので向いていないのかも、と思うこともあるけれど、苦しい分、できたときの喜びは大きい。書くことは死ぬまで続けていきたいと思っている。

始めたことを全部毎日のように続けていたら時間がいくらあっても足らないので、時にはいさぎよくやめることも必要かもしれない。とはいえ、好きなことなら、無理矢理やめなくても、細々とでも続けていけばいいのではないかと思う。

中学生の頃に始めたアコースティックギターは、時々気ままに弾く程度で、香川に来てからはほとんど触っていなかったけれど、去年の冬から練習を始めて半年以上、ほとんど毎日のように弾いている。なかなか上達しなくてじれったくなり、他にもすることが山のようにあるのに音楽にこんなに時間を使っていていいのだろうかと思えてくることもあるけれど、続けていれば少しずつ、思うように鳴らせるようになってくるのが楽しくて続けられている。

「楽しむ」といっても、「忍耐」なしには小さな喜びしか得られないことが多い。その先の大きな喜びを得たいから、「忍耐」を覚えていきたい。


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by 硲 允(about me)
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