映画「フジコ・ヘミングの時間」を高松のホール・ソレイユで観てきた。
フジコ・ヘミングさんはテレビ番組がきっかけで世に広く知られるようになったそうだが、ぼくはテレビを観ないのでその頃は知らず、あとになって、フジコ・ヘミングさんの奏でる「エリーゼのために」を聴いて一気に惹きつけられた。
「エリーゼのために」は、日本のピアノ教室における定番曲で、ぼくも子どもの頃に教わって何度も弾き、他人が弾くのも何度もきき、きき飽きていたが、フジコ・ヘミングさんの弾く「エリーゼのために」はまったく別物で、同じ曲がこんなふうに生き生きと新鮮に心に響くことが不思議だった。
フジコ・ヘミングさんの弾く「エリーゼのために」はリズムが独特で、楽譜通りではなかった。
映画の中で、フジコ・ヘミングさんはピアノ教師であったお母様以外に教わったピアノの先生から歌うように弾くように教わったと語るシーンがある。楽譜通りに機械的に弾く練習をするのは「危険」だという。
「気」を込めて弾いたときと、そうでないときの違いを実演してくれているシーンも興味深かった。
「ラ・カンパネラ」は、「死に物狂い」で弾く曲なので、弾く人が普段どんな精神で暮らしているかが隠せずに音に表れるという。
この曲は、ちょっとピアノに自信のある方が弾くと「どうだ!」という感じで聴いていられない曲だが、フジコ・ヘミングさんの奏でる「ラ・カンパネラ」は、なんとも言えない深みと複雑さと繊細さと力強さがあり、美しい。
どんな芸術も、その芸術家の日常があってこそ、生まれるもので、分野を問わず、芸術家の日々の暮らしに興味を引かれる。
80代になっても世界各地を飛び回って年間約60本のコンサートをされ、国境を越えて聴き手の心に響く音楽を届けているフジコ・ヘミングさんの日常を垣間見ることのできる映画だった。
この日は上映後に、監督の小松莊一良さんによるお話もあった。
かつて、テレビ番組でフジコ・ヘミングさんの特集をしたが、そのときはフジコ・ヘミングさんの過去の困難な時代に焦点を当てざるを得ず、フジコ・ヘミングさんの「今」を伝えたいと思ってこの映画を撮られたという。
音質にもこだわり、なるべくフジコ・ヘミングさんから近い音を届けようと、フルバージョンで収録されている「ラ・カンパネラ」などでは、ピアノから近い位置にマイクを設置していて、コンサートでは聴けない音が聴けるといった裏話も聞かせていただいた。
高松在住で、アクセサリー作家の原田諭起子さんも上映後にお話された。原田さん制作の黒いヘアアクセサリーをフジコ・ヘモングさんが使用していて、映画の中でも付けている。フジコ・ヘミングさんが絵を描いて原田さんにイメージを伝えているという。
有名な芸術家は、その本人ばかりにスポットライトが当たりがちだけど、その周りには、共に人生を生きているいろんな方たちがいる。それがいかに重要かということも感じさせられる映画だった。