「声」と「歌」と「自分らしさ」と。

声というのは、一人ひとり、違っている。あの人とあの人の声は少し似ている、ということがあっても、全く同じ、ということはあり得ない。日本だけでも、1億種類以上の声が存在する。そんな当たり前のことを改めて考えてみると、ちょっと不思議で面白い。

話す声が違えば、歌声も違う。一人ひとりの歌声が違えば、その人その人にあった歌い方というのがあるはず。

音の強弱、高低、感情の込め方、声の出し方・・・歌い方にはいろんな要素がある。

他人の曲を歌うときに、そのまま真似しようとしてもうまくいかないことが多い。他人は他人、自分は自分。生きてきた人生も違うし、その曲を歌うときに感じることも、伝えたいことも異なってくる。

もっと物理的に、身体(声を出すのに関わってくる身体器官)も異なる。発話において、ある人がある感情を伝えるときに用いる発声方法と、別の人が同じような感情を伝えるときに用いる発声方法は異なる。ある人がある感情やメッセージを伝えようとしたときに用いた発声方法を、別の人が同じことを伝える際に用いても「お笑い」にしかならないことが多いだろう。

ある歌手の感動的な歌を、別の人がそっくりに真似たとして、そっくりであることに感動したとしても、元々の歌手による歌を聞いたときと同じ種類の感動を覚えることはないだろう。

ぼくは最近まで、他人の曲を歌わせてもらうときに原曲のキーにこだわっていたが、それは下手すると本末転倒になるということがようやくわかった。

歌にしても何にしても、自分らしいものにするには、ただ真似するだけではなく、自分の中に存在する何層ものフィルターを時間をかけて通す必要があるのだと思う。