「負けず嫌い」と「勝ち負け」と。


他人と比較したり競争することをやめれば、人間はずいぶんラクに生きられるのかもしれない。

「負けず嫌い」というのは、いい意味でも悪い意味でも使われることがあるが、それほど悪くはない性質として語られることが多いのではないかと思う。

しかし、誰にでも、何においても「負ける」のが嫌いだと、とても生きにくいだろう。

ぼくももっと若い頃は負けず嫌いのほうだったと思うが、最近はだいぶ落ち着きすぎて、若い頃の競争心を少しは取り戻したくなることも時々ある。

しかし、自分と他人を「勝ち負け」でとらえるのは美しいことではないと思う。

「勝ち負け」でとらえるのは、たいてい、技術的な、表面的なこと。もっと根本的に、人間としての成長を目指すなら、そんな表面的な優劣の重要性は薄れてくるのではないかと思う。表面的には「負けて」いるように見えても、そんな「負け」をどうでもいいこととみなし、達観しているほうが人間としては器が大きい、という場合もあるだろう。

しかし、世間で評価されるのは、たいてい、もっとわかりやすい、表面的なところ。学歴や経歴、資格、受賞歴などはわかりやすい指標となるが、心で感じなければならない対象については、誰でも納得しやすい評価を行うことが難しくなる。

手っとり早さを重視すると、本質が疎かになる。

本質を大事にするには、余裕がいる。その余裕が得られにくい世の中にますますなってきているように感じられる。


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by 硲 允(about me)
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