フェアトレードやオーガニック商品は贅沢で、それらを買えない人は悪者か?


オーガニックやフェアトレードの商品は、そうでない商品よりも少々値段が高いことがある。

だから、お金に余裕がない人はそういう商品を買いにくく、悪者扱いされているような気分になる、という話を時々聞いたりネット上でも散見する。

オーガニックやフェアトレードの商品は贅沢品なのだろうか?

実際には、そうとも言い切れず、結局は何にどうお金を使うかによるだろうと思う。

オーガニックの作物一つとっても、その値段は店による。大手ショッピングセンターで、小さなオーガニックコーナーが設けられ、そのコーナーの野菜や果物が同じ種類のオーガニックでない商品の値段に比べてずいぶん高いのを目にすることもある。そういうのを見ていると、オーガニックが贅沢品に思えてくるのも無理はないように思う。

ところが、地元の農家さんが直接トラックで運んでくるような産直では、オーガニックの作物でも、スーパーで販売されているオーガニックではない作物と比べて同じくらいの値段かわずかに高いくらいのこともある。

作物の場合、育て方によって栄養価も違ってくる。たっぷり化学肥料を与えて短期間で大きく育てられたような作物は、がたいは大きくても、中身がすかすかでたくさん食べないと満足が得られない、ということもある。無肥料や控えめな植物性肥料などで育てられた作物は、中身がぎっしりと詰まっていて味が濃く、少量で満足できる。そういう違いを考慮に入れると、同じ重量で同じ種類のオーガニック作物がそうでないものに比べて少々高くても、高いとは思えなくなる。それに、身体にやさしい食べものを食べ続けていれば、病気を予防でき、長期的にみれば治療費や薬代を節約できるかもしれない。

「フェアトレード(fair trade)」というのは、日本語に訳すと「公正な貿易」で、開発途上国の製品や原料を適正な価格で購入することにより、途上国の生産者や労働者の生活改善や自立を目指すというもの。

わざわざそんな言葉が存在することからも分かるが、世の中で流通している商品の多くは「アンフェア(unfair)」な貿易によって生まれた商品であり、それを買うことは、そのアンフェアなシステムに荷担してしまっていることになる。

普段、ものを買うときに、そのものがどこでつくられたとか、誰がつくったとか、どんな暮らしをしている人がどんな気持ちでつくったとか、つくった人や運んだ人や売っている人がどれだけの利益を得ているかとか、ものの背景すべてに想像を巡らしている暇がないと、完成して目の前にある「もの」にしか目が行かない。そんなものを買い続け、使い続け、そういうものに囲まれて暮らしているときに、自分が買い続け、買い集めたものが「アンフェア」なものだと指摘されると、ショックを受けたり反発を感じるのは当然だろうと思う。知らないほうがラクだし、知らないほうが楽しくしていられることが、世の中にはたくさんある。しかし、今のところラクで楽しくても、遠くの誰かにかかっている負担や犠牲は、まわりまわって自分に降りかかってくることもあるし、知らないうちに自分にもその負担や犠牲が生じていることも多いだろう。

ぼくはかつて、「安物買いの銭失い」だったが、ある時にふと、本当に気に入ったものしか買わないようにしようと決意し、それから買い物の仕方が変わった。本当に気に入るものを追求していると、持っていて、使っていて心地よく、気持ちよく、快適に健康でいられるものを求めるようになり、いつの間にかオーガニックやフェアトレードのものを好むようになった。本当に気に入るものというのは、そんなにしょっちゅう出会えるものでもないので、衝動買いが減り、買ったあとで後悔するようなこともなくなった。一つひとつのものを大事にするので、長く愛用し、まだ使えるのに飽きて捨てて買い替える、というようなことがなくなるので、安いものを次々に買うよりも結局はお金の節約になっているようにも思う。

ものには気持ちがある、というか、気持ちが通じる、というのを、最近は疑いなく感じるようになった。家電製品でも、新しいものがほしくなって今つかっているものへの愛着が薄れるとすぐに故障してしまう。車にしても、長距離を走ってくれたのに感謝の気持ちを忘れるとすねた顔をしている。電源が付かなくなったパソコンに手を当てると一時的に復活する。

誰がどんな気持ちでつくってくれ、運んでくれ、宣伝してくれ、販売してくれたものなのか。そのものにこもった気持ちは、使う人に伝わる。いい気持ちのこもったものを使ったり取り入れたりしていると、自分もいい気持ちになってくる。やさぐれた気持ちのものに囲まれていると、やさぐれた気持ちになってくる。どうでもいいや、という気持ちの入ったものに囲まれていると、自分の人生までどうでもよくなってきかねない。

フェアトレードの商品を買うというのは、その商品の生産や流通や販売などに関わっている人のためだけではなく、自分のためにもなる。そこをすっとばして、フェアトレード商品を買うことで生産者の幸せや自立に貢献するのだという語り方をしてしまうと、「この偽善者め!」という反感を買いやすくなる。そもそも、開発途上国の人々の暮らしを破壊したのは、いわゆる「先進国」の人々の都合によるものであることが多いのだろう。フェアトレード商品を買ったところで、せめてもの小さな罪滅ぼしをするくらいのことにしかならないが、しないよりするほうが余程いいと思う。

世界はつながっている。一つのものを買うときに、それを誰がどこで、どんなふうに、どういう気持ちでつくっているかを想像し、調べ、機会があれば実際に見に行ったり、同じものを自分でつくってみたり、つくり方を調べてみたりすることで、新たな気づきが得られることが多い。現代に生きる人間は、ものやサービスに関わるところで日々振り回され、人間が生きることのもっと根本的なところを見失ってしまいやすいように思う。まずは自分の周りのものを見直し、自分が本当に気に入っていて必要なものだけを残し、買い物一つひとつを慎重に心を込めて行えば、日々の暮らし自体が大きく変化していくのを実感している。


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by 硲 允(about me)
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