『わたしは99歳のアーティスト』(三星静子 著)を読んで。

『わたしは99歳のアーティスト 古ぎれコラージュとひとりの暮らし』(三星静子 著)という本を読みました。

 

「古ぎれコラージュ」というのは、著者の三星静子さんの造語で、古い布でつくる布絵のこと。服をつくった残り布や、使い古したカーテンなど、長年集めてこられた身近な布で作品を制作されていました。

体や心の痛みがあっても、作品をつくっている間は忘れられると言います。

夢中になるってのは、いいことですよ。体の痛みも心の痛みも何もかも無になって。古ぎれコラージュがあることで、体の面でも、精神の面でも助かってる。健康面でとてもプラスになってると思ってるの。
夢中になれる何かを持つってことは、宝を持ってるようなもんですよ。(『わたしは99歳のアーティスト 古ぎれコラージュとひとりの暮らし』三星静子 著 p. 16)

夢中になれるもの…ぼくは最近は織り物や縫い物。やりすぎて指を痛めて療養中ですが、たしかに、夢中になれることに取り組んでいると、その最中は他のことを忘れます。なにかしら夢中になれるものを常にもっておきたいものです。

感性についてのお話もよかったです。一時、テレビに出たのをきかっけに「教えてくれ」とたくさんの人が来て教室を開いたけれど、みんな難しいといって続かなかったといいます。「あなたには生まれつきのセンスがあるからね。誰にでもできるもんじゃないわよ」とみなさん言われたそうですが、三星さんはこう言います。

でも、わたし、生まれつきの感性なんか持っていやしませんよ。それは生まれつきじゃないの。とにかく美術館に行って絵を見たり、映画を見たり、美術の本を買って読んだり。そういうことをしなきゃだめなの。美術に対して人一倍の関心を持つこと。それが大事なの。『芸術新潮』って本が出てるでしょ。わたし、毎月読んでたのよ。それから院展とか日展とかね、必ず見に行きましたよ。とにかく目を肥やすの。そういうことで感性が養われるのよ。持っていなくても養われるの。生まれつきってことはあり得ない。(『わたしは99歳のアーティスト 古ぎれコラージュとひとりの暮らし』三星静子 著 p. 106-107)

感性は養われるもの、というのは自分の経験からしてもそう思います。何を美しいと感じるかは人それぞれですが、自分が美しいと感じるものを見たり、探したり、求めたり、つくったりしているうちに、次第に養われていくものだと思います。美しいものだらけの畑や森で過ごしているだけで、感性が養われていくように思います(その反対に、美しくない人工物だらけの中に身をおき、美に鈍感になって暮らしていると、感性が養われる機会を逃してしまいます)。

ちょっと弱っているときに読み、元気をいただきました。