「ゲゲゲの老境三昧 水木3兄弟、合わせて270歳」(水木しげる 著)を読んで。

「ゲゲゲの老境三昧 水木3兄弟、合わせて270歳」(水木しげる 著)という本を図書館で借りてきた。





これは2011年に出版された本で、当時、水木しげるさんは90歳、お兄さんの宗平さんは92歳、弟さんの幸夫さんは88歳。三人とも健康で、仲良さそうに、愉快で自由な会話が繰り広げられている。

健康のために細々と工夫しているというよりも、豪快に好きなことをして自由に楽しく生きているのが、健康と長生きの大きな要因のような気がした。

食事についてインタビュアーにきかれて、水木しげるさんがこう答えているのがやけに印象に残った。

昔みたいに独特なメシというのはあまりなくて、最近は一般化してみんな同じものを食べて排泄してるんじゃないですか? つまり脳みそ(脳髄)の回転も似たものができるんじゃないかなと思っているしね。だから昔みたいに特徴のある漫画なんか出なくて、クソとか小便に似た同じような漫画が出てくるんじゃないかなということです。昔は妙な奴がおったけど、今は平均化していないとメシが喰えないから、平均化してしまってあんまり面白くない。漫画でもなんでもね。(「ゲゲゲの老境三昧 水木3兄弟、合わせて270歳」水木しげる 著、p.205-206)


言い回しは汚いけれど、食べたものが頭脳に影響する、というのは経験的に共感する話だった。ぼくも牛丼屋ばかり行って、肉食中心、砂糖菓子、甘いジュースばかりを体に入れていた頃と、動物性のものを食べなくなり、砂糖を一切摂らなくなり、野菜と豆と穀物の食事になった今とを比べると、体も頭もだいぶ入れ替わった感じがする。

食事を含めた暮らしが自分の思考や感情や感性をつくりあげていくものだと思う。何をするにしても、平均化したようなものをつくりたくないのであれば、暮らし自体を見直すのは有効だろう。根本が変わらなければ、小手先でこねくり回しても、結局は平均化されたものの域を抜け出すのは難しい。

それにしても、水木しげるさんが言う、昔の「独特なメシ」というのがどんなものなのかちょっと気になった。

平均化したものじゃないと「メシが喰えない」というのは、受け手も平均化して、平均化したものを求めるようになっていえる、ということだろう。そんな世の中はつまらない。大手の店に行くと、どこへ行っても同じような食べものが多い。産直に行くと、個性的で珍しいのも多いので、遠くまで出かけたときは産直に立ち寄るのが楽しみになっている。最近は大手の店でも産直コーナーが増えているし、もうちょっと「独特なメシ」が各地で、各家庭で増えてくるかもしれない。


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by 硲 允(about me)