きれいに洗われた生姜を刻みながら

買ってきた生姜を4袋分、ひたすら千切りして、紅生姜を仕込んだ。

それにしても、売っている生姜が見事にきれいに洗われていて、なんと几帳面な、と思った。ぼくは根菜を販売するときは、泥付きのことが多い。カビやすいものはさっと洗うけれど。

だけど最近、なぜ野菜がきれいに洗われているかがわかってきた。

買う側からすると、洗う手間がかからない、というのが重要なようだ。生姜を洗うなんていうのは、亀の子たわしでさっと全体を撫でれば簡単に泥が落ちるようなものだけど、キッチンに亀の子たわしのような泥を落とすのに適したたわしが用意されていない場合もあるだろう。食器洗い用のたわしでは、野菜の泥は落としにくい。

ハーブを販売するときに、茎が長いままだと、料理やお茶で使うときにハサミで切る手間がかかるので、あまり売れなかった。そういうことだろうと想像して、ハサミで細かく切って袋詰すると、売れ行きが急に変わり、買ってもらえるものを販売するとなると、調理のしやすさが重要なのだと学んだ。

ぼくは料理が好きなので、野菜の泥を落とすのはほとんど苦にならないけれど、手や指を痛めているときは、そういう作業が大変で、畑で収穫してきた泥付きニンジンよりも、イオンで買ってきた、つるつるに磨き上げたようなニンジンに手が伸びる。手が痛かったり、腰が痛かったりすると、料理は大変だ。なるべく調理に手間のかからない食材を選ぼうとするのは理解できる。

「手のしびれ・指の痛みが一瞬で取れる本」(富永喜代 著)という本を読んでいると、手が痛いのに料理をせざるを得ない女性の話がでてきた。指が痛くてかたいものを切るのが大変なのに、家族にカボチャの煮物が好きな人がいて苦しんだり…(著者の富永さんは、そういう場合にカボチャを電子レンジでチンして柔らかくしてから切ることをすすめている)。

体に痛みがあるのに、我慢して料理をせざるを得ないのは大変だ。そういう場合、富永さんがすすめるように、カット野菜やカットフルーツなどに頼るのも大事だと思う。そもそも、女性ばかりに料理の負担が押し付けられていることが根本的な問題だろう。料理が楽しくなければ、一日に3回も苦痛がつきまとう。料理が楽しいかどうかは、押し付けられている感があるか無いかが大きいように思う。なんで自分ばかりが…と思いながら料理をしても楽しくない。野菜を包丁で切るのは、本来楽しい作業なのではないかと思う。キャンプなどでみんなで料理をすると、「料理は面倒なもの」「料理は嫌々やるもの」というマインドセットになっていない小さな子どもたちは、包丁を奪い合うようにして野菜を切りたがる。その楽しみを奪っているのは、社会の固定観念と男の怠け心であることが多いように思う。


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by 硲 允(about me)