モノと片付け

家の中の片付け。モノというのは面白い。

必要があって買ってきたりして手に入れたモノだけど、年月を経て、自分の暮らしや興味・関心。活動などが変わると、そのモノは自分には必要なくなる。まだ使えるものを捨ててしまうとゴミになるしもったいないので、必要そうな人に使ってもらったり、リサイクルに出したり、古道具屋さんに持っていったほうが気持ちいい。お金がかかったとしても、捨てて無駄にするよりもリサイクルできるならリサイクルを選ぶ。

自分には不要になったものが、他の誰かにとっては魅力的なものに映ることがある。その逆もしかり。古道具屋さんへ行くと、いろんな人の人生や暮らしのストーリーがモノを通して見えてくるようで面白く、モノ自体も珍しいものや見たことのないものが雑多に並んでいて興味が尽きず、隅々まで全部見てしまうことが多い(その後、疲れてぐったりする)。

使い捨てですぐにダメになってしまうモノよりも、手入れして長年使えるモノがいい。自分が一生使えて、何世代にもわたって使えるような、いい素材で丁寧につくられた椅子など、だんだんと年月の重みでしか出せないような美しさが宿ってくる。

それにしても、家電ももっと長く使えるようにつくってほしい。数年で買い換えなければいけないパソコンとかプリンタとか、無駄が多すぎる。頑丈なボディにして、中身だけ入れ替えて何十年も使えるようにするのは難しいのだろうか?

最近、祖母の代から使っている足踏みミシンを毎日のように踏んでいる。これは見たところ、手入れしながら大事に使えばどこも壊れそうにない。それに比べて、最近のミシンは、電気の動力に耐えられないくらい本体がもろくてすぐに壊れることがある、という話もある。安い電動ミシンなら最近は1万円くらいで売られているが、あっという間に壊れてしまうのならゴミの山になってしまう。

土に還らないゴミは厄介だ。化学繊維のスニーカーを洗いながら思った。手入れ不足で埃を積もらせてしまったスニーカーだが、水洗いしながら歯ブラシで磨いたら、びっくりするくらいきれいに蘇った。天然素材ではこうはいかない。埃まみれのまま放置しておくと、カビも生え、変色するので、水洗いしてもピカピカとはいかない。一方で、化学繊維のものは太陽光などに弱く、使っているうちにボロボロと剥がれてきたり、惨めな傷み方をする。大事に手入れするなら、美しく古びていくのは確実に天然素材のものだと思う。

片付けをしていると、モノとの向き合い方をいろいろと考えさせられる。何がどれだけ必要かは、人によって異なる。自分が幸せに生きるために必要なものを最適な分量だけ持ち、大事に手入れしながら使い続け、役立てることができなくなったら気持ちのいい手放し方をしていきたいものだと思う。