動物と野菜の殺生

ベジタリアンに対する批判として、「動物を殺すのはよくないと言うが、野菜だって殺していることに変わりはないじゃないか!」というような話を時々見聞きします。

そういうことを言う人は、野菜を育てたことがないのではないだろうか…と思ってしまいます。ましてや、動物を自分で殺して食べたこともないのではないでしょうか。動物を殺して食べるのと、野菜を摘んで食べるのと、生きものを傷つけて食を得ているということに変わりはないかもしれませんが、そのときに自分がどう感じるか。

ぼくは動物を自分で殺してまで食べようとは思いません。穀物や野菜やフルーツが手に入り、それらを食べて生きていけるなら、動物に手を出そうという気にはなれません(かつては何も考えず、感じずにいただいていましたが)。

かといって、誰もがそうすべきだとまでは思いませんが。動物のお肉を食べたい人に食べないほうがいいとは言いませんが、自分で動物を殺して食べる必要があるとなると、そこまでして食べなくてもいいや…となる人はけっこう多いのではないかとは思います。

ちなみに、野菜を「殺す」といっても、多年草のもありますし、実を分けてもらって、一部をまた次のシーズンに種まきして育てたりしていると、自分の場合、「殺している」という感覚はほとんど伴いません。種まきして育てている野菜に手が回らなかったり、草に埋もれて忘れ去っていたりして放置しているほうが、食べるよりも野菜が「すねている」ように見えることもよくあります。「それは自分の都合のいいように見ているだけだ」と思われるかもしれませんが。ともあれ、野菜は種を撒いてしっかり心をかけて育て、美味しく感謝していただき、種採りしてその子孫をまた育てていけば、野菜は悲しんでいるようにも怒っているようにも見えないのは、ぼくだけではないだろうと思います。