昔見ていたテレビ番組

テレビ無し生活はもう十数年になる(たった十数年ともいえる)。

テレビが無いと、時間ができる(テレビがあると、時間が奪われる、ともいえる)。

外出先で年に数回ほど、テレビと出くわす。たまたま放送されている番組を見ると、その下劣さに驚き呆れる。こういうものを毎日見ていると、感覚が麻痺してくるのだろうと思う。自分の部屋で、こんな映像や音声を流すことを想像するとぞっとする。場の空気が一気に乱されるだろう。こんな番組を見ながらご飯を食べたら、消化にわるいに違いない。

テレビといっても、いろんな番組があるので、一概にはいえないが。外出先で見かける番組は、昼の視聴率が少ない時間帯で、暇人を相手にしているような番組が多いだろうから、余計に下世話なのかもしれない。

先日、縫い物をしていると、昔好きだったテレビ番組をふと思い出した。二種類の料理をつくるところを出演者らが見て、どっちの料理を食べたいかを選ぶ。最後の票をとり、食べたい人が多い料理を選んだ出演者たちだけが、その料理を食べることができる。スタジオに二人、料理人が来てくれるわけだけど、選ばれなかった料理をつくった料理人は、せっかくつくったのに食べてもらえず、自分一人で「こんなに美味しいのになぁ…」などと言いながら食べる様子が最後に映される。

出演者らがどっちの料理を選ぶかは、カケのようなところがある。中間で票決され、みんなの希望がどっちに傾いているかを知ることができる。その結果を見て、自分が本当に食べたいほうではなく、多数が選びそうなほうを最終的に選ぶという戦略もある。当時はなんとも思わなかったが、自分が本当にどうしたいかではなく、みんなの様子を見ながら最終決定するというのは、日本人らしいように思う。それは時によって、悪癖にもなりうる。

昨今では、新型コロナのワクチンへの不安や疑問を感じながらも、周りの人がみんな(ほとんど)受けているから、ということで自分も受けなければ、という強迫観念のようなものにとらわれている人もいるかもしれない。ワクチン接種は、「努力義務」と呼ばれるが要するに任意であり、それぞれの責任で自己決定すればいいわけで、その結果は、自分で責任をとらざるを得ないことになるだろう。政府が保障してくれるといっても、ワクチン接種の結果、よからぬことが起きたとしても、その関連を認められる可能性は大きいとはいえない。

テレビは洗脳装置と呼ばれることがある(あらゆるメディアはそうなり得る)。なにげない番組のルールからも、毎週毎週見ていると、自分の思考パターンや価値観に何らかの影響を受けるものだろうと思う。