お店で出してくれる氷水とぬるい水の話。


相方から面白い話を聞いた。

ある飲食店に行くと、相方のテーブルには氷の入っていない水が用意されていたのに、店員さんが氷の入った水も運んでいて、どういうことだろうと思って見ていると、男性客には氷水を出していることがわかった。

氷の入った冷たい水を飲むと体が冷える。女性は特に体の冷えに気をつけたほうがいい、と言われることがあるからだろうか、女性にはぬるい水を出していた。男性も体を冷やさないほうがいいと思うが、ぬるい水を出すと不満を示す人が多いからかもしれない(女性でもぬるい水を嫌がる人はいると思うが)。

男性は氷水、女性はぬるい水、という区分けかと思いきや、例外もあったらしい。

女性二人がやってきて、一方は、かなりふくよかな女性だった。すると、二人ともに氷水が運ばれたという。ふくよかな女性はきっと暑くて冷たい水を欲しているだろう、と判断したのだろう。ふくよかな女性に氷水を出して、もう一人の女性にぬるい水を出すのは露骨すぎるので、二人ともに氷水を出そうと咄嗟に判断したのだろう。ふくよかではない女性の冷えよりも、ふくよかな女性を冷やすことを優先したのはなぜだろう? 「ただちに(明らかな)影響がない」ことよりも、緊急性を重視したのかもしれない。

男性と女性の組み合わせの二人が来た場合、あらかじめテーブルに氷水と氷なしの水が置かれていて、見ていると、氷水のある席に男性が座るらしい。これも面白いと思った。やはり男性は冷たい水を好むことが多いのだろう。

とはいえ、ぬるい水を好む男性もいるはずで、ぼくは氷無しのほうがいい(お腹を冷やすと調子がわるくなるので)。お店で冷たい飲みものを頼むときも、氷無しでお願いすることが多い。反対に、女性でも、冷えとは無縁でカッカして燃えたぎっているので氷水じゃないと調子が出ない、という人もいるかもしれない。

どちらがいいかを他人が見た目で判断するのはなかなか難しいところがある。その人の身体にとって本当はどっちがいいのか、という基準もあれば、身体にはよくないけれど本人はどっちを飲みたがっているか、というのもある。このお店としては、おそらく、基本的に誰でもぬるい水のほうが身体にいいが、ぬるい水だと不満を感じそうな人(男性や太った人)には健康よりもその時のニーズを重視して氷水を出す、という方針なのではないかと思う。

それなら、どっちがいいかを本人に確認すれば、正確に本人のその時のニーズを満たすものが提供できそうだけど、わざわざきかずにそっと判断するのがある種の心遣いなのだろう。

相手が何を求めているか想像し、それを相手に確認せずに相手が求めてそうなものを提供する、という心遣いは、よくも、わるくもある。相手のニーズにぴったり合致すれば、相手は喜んでくれるが、それが外れた場合、相手はその心遣いを傷つけたくなくて、注文をつけづらくなるところがある。ぼくの場合で考えると、ぼくに氷水、相方にぬるい水が運ばれてきたとして、「ぼくもぬるい水のほうがいいんですけど」と言うと、運んできた氷水を持って帰ってぬるい水を持って来なければいけないので二度手間をかけてしまうし、そういう配慮に水を差すのも気が引けるので、多分、氷水をいただいて、口の中でぬるくして飲むことになるのではないかと思う。

想像力を働かせ、相手のニーズを汲み取る、というのは思いやりで、それをそっと行うことにはある種の美学があるのかもしれない。ただ、それが常に正確に行われているとは限らないので、なるべく、相手に善意を断る精神的負担を与えないようにする配慮が加われば、さらに美しい行為になるのではないかと思う。

反対に、そうしたサービスや行為を受け取る側は、それが自分のニーズに合致していない際、相手の親切心を傷つけずに、そっと、思いやりをもって、時にはユーモラスに、自分の本当のニーズを伝える配慮や技術が必要だろうと思う。


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by 硲 允(about me)
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