お金や仕事の固定観念と、好きなことを「ナリワイ」にすることについて

楽しいこと、好きなこと、やりがいを感じられることばかりして生きていけたらいいのに、と思う人は最近ますます増えてきているように感じる。

ぼくもそう思って生きてきて、今ではだいぶそういう暮らしができるようになった。

そういう暮らしを実現するには時間がかかるし、それがどんな暮らしかは人によって異なるし、実現する方法もいろいろある。他人の生き方や暮らしに憧れ、他人の方法を真似ても上手くいかないことが多いのではないかと思う。

大事なのは、自分についてよく考え、よく感じ、よく知ることかもしれない。

自分にとって、楽しいことは何だろう、好きなことは何だろう、何をしているとき、どういうときにやりがいや生きがいを感じるのだろう? どういう人生を生きたいか? 他人とどういう関係を築きたいか? 毎日どんなことをして暮らしたいか? 他人のケースを集めるのではなく、自分はどうなのか、ということをまずは徹底的に考えないと、どこへ向かえばいいかわからないし、あとから「あれ?こんなはずでは…」ということになっては時間とエネルギーがもったいない。

自分のことをよく考え、よく感じるには、時間や心のゆとりが必要になる。ぼくは勤め仕事をやめてフリーランスになったばかりの頃、お金はないけれど時間はたっぷりあったので(お金のことが心配で心のゆとりはあまりなかったけど…)、幸い、自分のことをじっくり考える余裕ができた。なるべく他人との接触を控え、毎日ノートに考えたことや想ったことを書き連ねたり、本を読んで自分の生き方について思索(というほどのものでもないけれど)を深めた。

今の暮らしをこのまま続けて年老いていくのはちょっと…と思っていても、毎日がいそがしくて、仕事から帰ってご飯を食べてちょっと息抜きしたらもう寝る時間、という暮らしでは、自分のこれからの人生についてじっくり考える余裕がない。フリーランスになった後も、締切の迫った仕事や難しい仕事を抱えているときは、自分のことを考えているどころではなかった。

毎日他人に合わせて生きていると、自分のことを置き去りにしてしまいやすい。他人の都合に沿って生きていても、誰か喜んでくれる人がいたり、何かで役立てたり、楽しいこと、嬉しいことおる。だからなんとかやっていける。でも、自分が本当に望んでいること、本当に実現したいこと、周りの思惑や期待やいろんな制限がなければチェレンジしてみたいことをせずに人生を終えるのはイヤだと思ってぼくは生きてきた。

そういう人が増えてきているように思う。類は友を呼ぶのか、周りでもそういう人が多いように思う。

自由に生きることを妨げる最大の要因になっているのは、「お金の心配」だろうか。もっと自由に生きたいと思いつつも、お金のことを考えると、「そうは言っても…」となってしまいやすい。

ぼくらは小さい頃から、お金に関する固定観念を植え付けられている。


  • 生きていくためには、あまり楽しくない仕事をしてお金を稼がないといけないことが多い。
  • 好きなことをしてお金を稼げるのは、よほど才能のある一握りの人だけだ。
  • 生きていくために必要な額のお金を稼ぐには、たいてい、朝から晩まで働かなくてはならず、休日は週に1~2日くらいのものだ。
  • お金が少ししかないと、まともな暮らしができない。
  • お金をあまりに稼ぎすぎると、それはそれで不幸になることが多い。

人によるだろうし、他にもいろいろあるだろうけれど、ぼくは子どもの頃からだいたいこんなふうに思っていきてきた。それについて自分でよく考えてみようとしたこともなかったし、学校で教わる機会もなかった。

学校でお金について教わることといえばなんだろう。「いい」学校に進学し、「いい」会社や組織に入って給料のいい安定した職につけば、お金の心配なく生きられる、という暗示くらいだろうか。ぼくはそういうコースにあまり魅力を感じられなかった。

そもそも、学生の頃はお金にほとんど興味がなかった。ステレオや楽器やゲームなど、ほしいものを手に入れるためには必要だけど、「普通に」暮らしていくのに必要なだけのお金を稼いでいけたらまぁそれでいいかとなんとなく思い、お金の稼ぎ方についてよく考えてみたことはなかった。英語の勉強が好きだったので、一生英語の勉強を思う存分続けられたらそれでいいと思い、英語を使う仕事を何かしらしていたら、暮らしていけるだけのお金は手に入るだろうとなんとなく思っていた。

大学生の頃から、英語と日本語の翻訳の仕事を始めたが、翻訳だけで「食っていく」のは難しいと、大学の先生たちに言われた。会社に雇われて社内翻訳の仕事をするならまだしも、と言われたように記憶している。余程ヒットした翻訳書を訳したりすれば別だけど、確かに、フリーランスで翻訳の仕事をして「食っていく」のはかなり大変だということが、やってみてわかった(お金のかかる都会暮らしではなおさら)。朝から晩までパソコンに向かい、締切に追われてひぃひぃいいながら働いて、稼ぎはカツカツ、という感じになる(そういうフリーランス翻訳者が多いのではないかと想像する)。

これはいかんなぁ、ということで、ぼくは当初、稼ぎを増やすのではなく、出費を減らす方向にいった。余計なものは買わず、必要なものはなるべく自分でつくる。その頃から、科学文明について見直し、なるべく機械類や化学物質に頼らない暮らしを目指し始めたので、そのおかげで出費も減った。東京のアパートで、味噌や梅干しをつくり、ぬか床を混ぜ、真っ暗な中ソーラーランタンの明かりで料理し、近所の小さな畑へ通うような暮らしが始まった。

お金の心配は、自分の手足をつかって何かをつくることで解消されていくところがあるように思う。いざとなれば、自分でつくればいいし、自然の材料なら足を運べばタダで手に入ることもあるし、なんとでもなるだろう、と思えてくる。

定職につかずにお金を稼いでいく方法を見聞きすることも増えてきて、そういう方法を提唱する本や、そういう生き方を実践する人が取り上げられている記事などを見ることも増えてきた。


月3万円ビジネス(藤村靖之 著)


ナリワイをつくる: 人生を盗まれない働き方(伊藤洋志 著)


この方向で大丈夫そうだ、と勇気づけられた。

東京から香川に移住し、ますますお金のかからない暮らしになった。東京にいた頃は、翻訳や英語を使ったリサーチなど、パソコン仕事ばかりしていたが、「ナリワイ」もちょっとずつ広がってきた。手製本を販売したり、地域での取材の仕事をしたり、手仕事や働き方に関するワークショップをしたり、時々草刈りを頼まれたり。自分の好きなことや楽しめることを仕事のする小さなナリワイは、ものによっては始めるのも簡単で、自分には向いていないと思ったらやめるのも簡単。

最近、『月3万円ビジネス』の続編の『月3万円ビジネス 100の実例』(藤村 靖之 著)という本を読んだ。



藤村靖之さんは、工学博士で、那須にある「非電化工房」の代表。いろんな非電化製品を発明したり(うちでも「非電化籾摺機」のお世話になっている)、「地方で仕事をつくる塾」を開催されたりしている。「月3万円ビジネス」というのは、「非電化」「ローカル化」「分かち合い」を大事にして月3万円だけ稼ぐビジネスをつくるというもの(そのときの「お約束」は、「いいことしか仕事にしない」「奪い合わないで分かち合う」「支出を減らす」「ノーリスク」「2日しかかけない」「みんなで生み出す」「インターネットでは売らない」)。

100個もの実例(そのうち実際に実施されたのは、本書が発売された時点で8割くらい)を見ていると、ワクワクしてきて、自分でもやってみたいものが見つかるし、いろいろアイデアが浮かんでくる。ぼくは自転車で引っ張る焼き芋屋さんが気になった。調べてみると、どうやら焼き芋を売るには特別な免許が要らないらしい。でも、香川ではあまり売れないかなぁと考え(マルナカというスーパーで安く買える)、たい焼きのほうがいいかもしれないと思った。東京にいた頃、引き売りのおしゃれなたい焼き屋さんがいて、楽しそうで、美味しかったのでよく買っていた。

話があちこちに飛んだ…。何が言いたかったのかというと、

  • 楽しいこと、好きなことをして生きていくことは、やろうと思えば誰でもできるはず(かも)
  • 稼ぎを増やすことに限らず、出費を楽しく減らすことで暮らしに余裕ができる
  • 一つの定職で稼いでいかなくても、好きなこと・楽しめることを「ナリワイ」にしていく方法もある
  • 「ナリワイ」をつくる方法や実例については、いろんな情報が出回っている
というようなこと。

もちろん、今着している定職が好きでやりがいを感じていればそれをやめて「ナリワイ」をつくる必要はないし、楽しいことや好きなこと、望む暮らしは人それぞれ。

まずは自分がどうしたいかをはっきりさせ、理想を思い描き、そこに至るコースをあれこれ考えてみて、今できることはこれだ、ということを一つずつしていけば、毎日の暮らしが少しずつ楽しいものになっていくのではないかと思う。


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by 硲 允(about me)
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