地方(田舎)暮らしのネガティブな側面は?大変(厄介)な(だった)こと5つ

「地方移住」や「田舎暮らし」に憧れる人や実践する人が増えてきているように見える。本屋に行っても、そういうテーマの本や雑誌の特集をよく見かけるようになった。

一概に「地方」「田舎」といっても、場所によっていろいろだし、どういう仕事や暮らしをするかによっても、その生活はずいぶん異なったものになる。

「地方」に移住したからといって、誰でも暮らしがより楽しくなるわけではないだろうし、「田舎暮らし」が誰にでも向いているわけではないだろう。その時の自分が、どんな暮らしを求め、どんな仕事を望み、どんな環境で、どんな人たちと関わりながら生活したいかによる。

ぼくの周りでも、地方に移住して楽しそうに暮らしている人もいれば、いろんな困難に直面した人もいれば、しばらく地方で暮らして都会に戻った人もいる。人それぞれ。

ぼく自身は、東京から香川に移住して、日々の暮らしが何倍も楽しくなり、したいこと、できることも増え、活動も広がり、いいことばかりなので、楽しげなことばかりブログに書いているが、たまには「地方暮らし(田舎暮らし)」のネガティブな(大変だったり厄介だったりな)側面も書かなければと思い、挙げてみることにした。

家の中に虫が現れる

香川暮らしの一年目で一番困ったのがこれだった。クモやヤモリなど、攻撃してこない虫はいいけれど、ムカデは恐怖だった。時々出るくらいならまだしも、毎日のようにムカデが登場し、一年で何十匹(百匹以上?)も出くわし、常に警戒態勢だった。生きものをなるべく不必要に殺したくないけれど、ムカデだけは、現れたら凍殺ジェットでやっつけている。ヘビも最初の頃、時々天井から顔を出していてどうしようかと思ったが、最近はほとんど出てこなくなった。

最初、家の壁が隙間だらけだったが、漆喰を塗って隙間を塞ぐと、虫の出現がだいぶ減り、平和に暮らせるようになった。

草刈りに追われる

香川に移住した最初の年、機械を使わないことを徹底していたので、草刈り機を使わずに鎌だけで田畑と庭の草を刈っていたら、「草刈りで一年が終わった」という感じだった。

これはネガティブな側面というか、ぼくは草刈りが好きなのであまり苦にならないし、鎌で草を刈っていると元気になるのでむしろ楽しみの一つなのだけど、草刈りが嫌いな人にとっては苦行のようなものかもしれない。一軒家で暮らしたいけれど、庭の草刈りが…と言う友人もいる。

草刈り好きのぼくでも、いそがしくて草刈りが間に合わずにあちこちぼーぼーになってくると、気持ちが焦ってくる。草の手入れをする場所のある田舎暮らしでは、草刈りを予定に組み込んでおく必要がある。

近所付き合いが密

家と一緒にお借りしている田畑で野菜や米をつくり始めた最初の年、ぼくのやり方を見た近所の農家さんからずいぶんお叱り(?)を受けた。(手で草を刈り続けていたら)「ムダな抵抗!」と言われたり、スコップで畦を整えていたらカンカンになって怒られたり、田畑を借りていることすら怪しまれて「勘違いちゃうか?」と疑われたり…。ラクにできるように機械を貸してくれようとしていたのに、ぼくが全部断るものだから、関係がぎくしゃくし、この年は精神的にきつかった。(そんなこんなだったが、1年めに自然農で無事お米を実らし、ぼくのやり方を認めてくれたようで、今は良好な関係を築けている。)

こういうことは地方(田舎)暮らしに限ったことではないが、こういう問題が起こる可能性は地方(田舎)のほうが高いのではないかと思う。都会から来た若者は何も知らないだろうから助けてやろう、とその地で長年暮らしてきた年配者は思うので、それを無碍に断ると関係がぎくしゃくしやすい。借りている畑に勝手に除草剤をまかれた、という話を聞いたこともある。それも親切心からだったようだけど、考え方が違うと、お互いに理解し、それぞれ自分のやりたい方法でやり、本当に必要な時だけ手助けし合う、という関係を築くのはなかなか大変だ。

口出し・手出しされずに自分の方法で田畑を手入れしたいなら、集落から離れ、人目につかない場所で土地を買うのが安心だろうと思う。

借家の契約書に、自治会に参加すること、と書かれていたので、近所のお宅を訪ねたが、「恒久的に住むのでなければ、入っても出るときに大変なので入らなくてもいい」と言われ、ぼくは入っていない。場所によっては、集落にがっつり関わって毎回の会合に出たり、消防団に入って活動したり、集落でお金をためて旅行したり、ということもあるらしい。あとは、大きな祭りがあったり。ずいぶんなお金を出し合って神輿をつくったり、怪我する危険性の高い祭りがあったり、ということもあるので、移住先の事情は事前によく調べておくのがよさそう。

プライバシーに踏み込まれることが多い

会ったばかりの人に「結婚してるんですか?」と訊かれるようなことは東京ではなかったが、香川に来てからはよくある。「子どもはいるの?」も同じく。結婚はしていないよりしているほうがいいし、子どもはいないよりいるほうがいい、と思っている人が多いようだ。そんなことは人の勝手で、どっちのほうがいい、ということもない。

法的・儀式的に結婚という契約を結んだからといって、二人の関係が本当に深まるとは限らないし、家と家の関係、戸籍制度などについてどう考えるかは人によって異なる。子どもをつくって、地球上に人間を増やして生命を豊かにするのは喜ばしいことかもしれないが、子どもを負担のように感じている親や、子どもに幸せを与えるのではなく子どもから幸せを得ようとする親もいる。子どもが自分の力を発揮して幸せに生きていけるのなら喜ばしいけれど、そうでないなら、手放しには喜べない。とにかく増えればいい、という、人数の問題ではない。

いろんな考えや価値観をもった人間が集まる場所では、相手がどういう人間なのかわかるまで、相手の領域にいきなり踏み込んでいくことに自制が働く。一方で、似たり寄ったりの考えの人が多数を占めると、自分の考えや価値観を相手に押し付けたり当てはめたりすることに対して大胆になりやすい。

もちろん、地方(田舎)といっても、いろんな考えや価値観の人がいる。それに対する配慮が少ないから(それも場所によるだろうけれど)、大多数と異なる考えや価値観をもっている人は生きづらい。

除草剤があちこちで撒かれている

東京にいた頃は除草剤を気にしたことがなかったが、香川に来てから、除草剤が天敵のようになった。

一番よく見かける除草剤「ラウンドアップ」の主成分であるグリホサートは、WHOの外部研究機関「国際がん研究機関」によると「ヒトに対して恐らく発がん性がある(警告レベル: probably)」とされている。がんの他にも認知能力や生殖機能、腸内細菌への影響なども指摘されていて、グリホサートの使用が禁止されている国もあるが、日本ではバンバン使われている(近所のホームセンターに行くと山積みになっている!)。

ラウンドアップは揮発性が高いようで、畑仕事をしていると、漂ってきた除草剤の成分でくらくら目眩がすることがある。電車に乗っていても、窓から風に乗って除草剤が入ってきてイヤな臭いが車内に漂っていることがある。

どれくらい平気で除草剤を使うかは、地方にもよるらしい。香川では身体が元気に動く人でもラクをするために平気でまいているが、広島(だったかな?)の山のほうで暮らしている方の話を聞くと、自分の田畑の周辺は草刈り機で手入れするのが普通で、除草剤を使うのはいよいよ身体が動かなくなったときで、そのときは田畑も「やめどき」だと思われている、ということだった。

移住するなら、移住先の家や田畑の周辺での除草剤の使われ方を事前に調査しておけると安心だと思う(除草剤だけでなく、農薬についても)。

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もっといろいろ挙がるかと思ったが、これくらいのものだった。

どれも、地方(田舎)か、都会かに限らず、出くわす問題でもある。都会でも虫の出やすい場所はあるだろうし、草刈りの必要な広い庭や畑がある場合もあるだろうし、近所付き合いが密で近所の人がプライバシーに踏み込んでくることもあるだろうし、マンションの管理人が庭や道路に除草剤を撒きまくって困らされている、ということもあるだろう。

どこに行っても、どこで暮らしても、いろんな問題が発生するものだけど、大事なのは、それにどう対応するかだろう。

ぼくが香川で出くわした問題にしても、対応の仕方によっては、ここで暮らし続けるのが難しいくらい厄介な問題に発展したかもしれないが、なるべく心穏やかに解決策を探り、実行していくことで、幸い問題は小さくなっていった。

結局は、自分がどう生きたいか、暮らしたいか。そのためにはどういう場所が適切かを自分で考えることが大事なのだろうと思う。「地方」や「田舎」というくくり自体が安っぽい。都市部だって、一つの「地方」だとも考えられるし、都市に自然を回復させ、人間の「ふるさと」をつくっていけば「田舎」のような場所に変化する。わかりやすいから「地方」や「田舎」という言葉を使うこともあるが、単純なカテゴリー分けは人間の目をくもらせる。

一見、ネガティブな側面も、ポジティブに活用したり、プラスに転じさせることも可能なはず。家の中に虫が出まくったおかげで、虫に慣れ、虫との付き合い方もわかってきたし、草刈りに追われたおかげで体力がついたし、近所の厄介な方のおかげで精神力が鍛えられ、どんな厄介な人が現れてもなんとかなるだろうという自信がついたし、プライバシーに踏み込まれることでお互いの違いについて学ぶ機会になるし、除草剤を吸いまくったことで、毒物を完全に避けようと神経質になるのではなく、ちょっとくらい摂取しても体外に出せる排出力を高めよう、という考えと姿勢を身につけることができた。

「災い転じて福となす」の精神は、どこで暮らしていても大事なことだと思う。


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