『ブラックボックス(Black Box)』(伊藤詩織 著)を読んで。性被害の闇を照らし、もっと健全な社会へ…


『ブラックボックス(Black Box)』(伊藤詩織 著)を読んだ。

読んでいて辛い本だった。本書に書かれた体験を経てきた伊藤詩織さんの辛さは想像を絶する。

しかし、読む必要のある本だった。読めてよかった。日本国民全員が読むべき本だと思った。

伊藤詩織さんは、2015年4月に、当時TBSのワシントン支局長の山口敬之氏から強姦を受けた。強姦されても被害を訴えるのを思いとどまる被害者が多いなか、伊藤さんは真実を明らかにしようと、告訴する。警察では「よくある話」とあしらわれたり、捜査員の興味本位と思われる屈辱的な質問に答えさせられたり、「セカンドレイプ」と指摘される人形での再現を求められたりしながらも、自らも情報を集めながら捜査を進めた結果、ついに逮捕令状が出る。

ところが、逮捕当日になって逮捕が見送られた。逮捕令状が出たあと、このように取り消されることは極めて珍しいケースらしい。それまで担当していた捜査員や検事は担当を外された。上層部から何らかの圧力があったことが疑われる。

山口氏は、当時、日本の大手メディアの中枢的地位にあり、事件後には、安倍晋三首相を好意的に描いた人物伝(『総理』、『暗闘』)を書いている。伊藤さんと山口氏を取材したニューヨーク・タイムズのモトコ・リッチ東京支局長は、山口氏と安倍首相の近しい関係から推測して「この事件に政治的介入があったのではと大勢が指摘している」と話しているという(参考記事)。

逮捕状の取り下げを決裁したのは、中村格(いたる)刑事部長(当時)であると、中村氏本人が週刊新潮の取材に対して認めている。しかし、その取り下げの妥当性は見当たらない。伊藤さんが本書を出すにあたり、中村氏への取材を試みたが失敗に終わった。出勤途中の中村氏に対し、「お話をさせてください」と声を掛けようとしたところ、すごい勢いで逃げたという。

山口氏は、仲間しかいないインターネット番組や月刊誌Hanadaで自分の正当性を主張しているが、伊藤さんの主張や捜査で明らかになった状況証拠や証言を照らし合わせると、ウソで取り繕っているようにしか思えない。LITERAの記事でその手記の一部が紹介されており、この記事でも指摘されているように、取り繕うことすらできていない。

山口氏の主張によると、伊藤さんは山口氏に連れられた寿司屋でお酒を次から次へと驚くほどの勢いで飲んで泥酔したというが、寿司屋の証言によると、飲んだのは二人で7合か8合。伊藤さんの話では、飲んだのは2合で、3合目を頼んだところから記憶がないという。突然、体調がおかしくなり、トイレに駆け込み、便器に腰掛けて給水タンクに頭をもたせかけた後、それからの記憶がなくなったという。伊藤さんはお酒に強く、この夜くらいのお酒で記憶をなくすほど酔うとは考えられず、お酒に強いことは伊藤さんの友人も証言している。

伊藤さんは、「デートレイプドラッグ」を飲まされたことを疑っている。これを飲まされたときに起こるとされる記憶障害や吐き気の症状は伊藤さんのこの時の症状と一致している。ニューヨークでは「飲み物から目を離すな」と言われ、これは犯罪から身を護るうえでの常識だが、日本でそんな目に遭う可能性があるとは想像もしていなかったと述べている。

記憶を失った伊藤さんを、山口氏はタクシーで自分の宿泊していたホテルに連れていった。伊藤さんは駅で降ろしてください、とタクシーの運転手に何度も言ったが、山口氏はホテルに連れていった(これはタクシーの運転手の証言が取れている)。意識を失った伊藤さんを山口氏は抱えるようにしてタクシーから引きずり出し、そのまま引きずってホテルのロビーを横切る様子がホテルの監視カメラに映っていた。

ホテルの部屋にはベッドが2台ある。山口氏が事件後、伊藤さんに送ったメールによると、最初、別々のベッドで寝ていたが、トイレに行って戻った伊藤さんが山口氏のベッドに半裸で入ってきたという。しかし、ホテルの掃除係の証言によると、ベッドは一つしか使われておらず、使われたベッドに血が付いていたという。一方のベッドが使われずにベッドメイクされ、カバーがかかったままのきれいな状態だったのは、伊藤さんも意識が戻ったあとにそれを見てはっきり記憶しているという。

事実関係や証言、客観的事実など、詳しくは本書で明らかにされているが、伊藤さんは最後のほう(p. 249)で客観的事実(山口氏も認めている)をこう整理している。

・TBSワシントン支局長の山口氏とフリーランスのジャーナリストである私は、私がTBSワシントン支局で働くために必要なビザについて話すために会った。
・そこに恋愛感情はなかった。
・私が「泥酔した」状態だと、山口氏は認識していた。
・山口氏は、自身の滞在しているホテルの部屋に私を連れて行った。
・性行為があった。
・私の下着のDNA検査を行ったところ、そこについたY染色体が山口氏のものと過不足なく一致するという結果が出た。
・ホテルの防犯カメラの映像、タクシー運転手の証言などの証拠を集め、警察は逮捕状を請求し、裁判所はその発行を認めた。
・逮捕の当日、捜査員が現場の空港で山口氏の到着を待ち受けるさなか、中村格警視庁刑事部長の判断によって、逮捕状の執行が突然止められた。
こうした事実があるにも関わらず、二度の不起訴処分となっている。

日本には準強姦罪(女子の心神喪失・抗拒不能に乗じ、または心神喪失・抗拒不能にさせて、姦淫した者に成立する犯罪)という罪状はあるが(2017年の法改正により、準強制性交等罪に改められた)、実際には被疑者をなかなか裁けない仕組みになっている。

捜査を担当した検事は、こう語ったという。

「この事件は、山口氏が本当に悪いと思います。こんなことをやって、しかも既婚で、社会的にそれなりの組織にいながら、それを逆手にとってあなたの夢につけこんだのですから。それだけでも十分に被害に値するし、絶対に許せない男だと思う。
あなたとメールのやりとりもあって、すでに弁護士もつけて構えている。検察側としては、有罪にできるよう考えたけれど、証拠関係は難しいというのが率直なところです。ある意味とんでもない男です。こういうことに手馴れている。他にもやっているのではないかと思います」
『ブラックボックス』(伊藤詩織 著)p. 161

もちろん、この検事の個人的な想いなわけだが、これだけの事実が明らかになっていても、有罪にできないという法的現実がある。

強姦事件で主に争点となるのは、(1)行為があったか、(2)合意があったか、の2点で、(1)の証拠が揃っていても、「女性が喜んで付いてきた。合意があった」と被疑者が言えば、それを否定するのは容易なことではないという。今回の事件でも、(1)については山口氏も認めているが、(2)については、途中から伊藤さんが意識を失って記憶を失くしているので、山口氏が自由にストーリーをつくることを可能にしている。

ストックホルムのレイプセンターの調査によると、レイプ被害者の70%が、被害を受けている最中、「体を動かすことができなくなる」「拒否できなくなる」「解離状態に陥る」といった状態になるという。ところが、日本における強姦罪の裁判で問われるのは、被害者が心の中で拒否していたかどうかではなく、「拒否の意思が被疑者に明確に伝わったかどうか」だという。法律が被害の現実に即していない。デートレイプドラッグを使用したり、相手を泥酔させて性行為を行うのは、こうした法律の隙間を狙った卑劣で極めて悪質な手口である。

スウェーデンでは、2018年7月から施行される新しい法律により、性的行為に及ぶ際は明確な合意(口頭または行動)がなければ犯罪となり、これまでは被害者が抵抗したか拒否を示したかが問われたが、これからは合意を示したかどうかが焦点になるという(参考記事)。

日本にいる女性で「異性から無理やり性交された」と答えた女性は15人に1人に上るらしく(2015年に内閣府男女共同参画局が行った「男女間における暴力」に関する調査による)、その割合に驚いた。

もしそのような被害に遭ってしまった場合、まずはどうすればいいのか。被害の証拠を残すための「レイプキット(性犯罪証拠採取キット)」は一般的な婦人科では普通、用意しておらず、レイプとドラッグ両方の検査を行うには、緊急外来に行くべきだという(東京都杉並区の「にれの木クリニック」の長井チヱ子院長のアドバイスとして本書で紹介されている)。

内閣府男女共同参画局のウェブサイトに、性犯罪・性暴力被害者のための行政が関与するワンストップ支援センターの一覧が掲載されている
wotopiというこちらのウェブサイトにも、性暴力被害についての全国の相談窓口リストが掲載されている。いくつか見てみたところ、リンクが切れている窓口もあるが、名称で検索するとまだ存在していた。

スウェーデンでは、被害届を出しやすい環境や支援体制が整っているようだ。伊藤詩織さんが取材に訪れたストックホルム南総合病院内のレイプ緊急センターでは、365日24時間態勢でレイプ被害者を受け入れ、誰とも顔を合わさずに受付にたどり着けるようになっていて、検査や治療、カウンセリングを受け、一連の処置が終わった後で警察へ届けを出すかどうかを考えることができるようになっているらしい(レイプキットによる検査結果は6ヶ月間保管される)。被害に遭った直後は心身ともにダメージを受け、判断に大きな負担がかかるため、このような配慮がなされている。日本ではまだこのような体制とはほど遠いようだが、これだけの被害が起こっているなか、一刻も早く改善していくことが必要だと思う。

被害が発生してしまった後の法制度や支援体制を整えることが必要なのはもちろんのこと、このような被害が起こらない社会をつくっていくことも重要である。

相手の同意がなくても性行為を行いたい、という欲望が生まれてくる状態というのは、人間としてかなり歪められてしまっている。そのような状態をつくってしまうのは、性や性行為、異性(同性)に対する歪んだ認識、自尊心の欠落、自分が他人や社会から何らかの形で支配されてきたことによって生じる支配欲求、ストレスの多い生活環境、自然から離れてしまった食や住環境など、さまざまな要因が考えられる。複合的なものなのだろう。人間を歪にしてしまうそうしたものを、この社会から一つひとつ取り除いていかなければならない。

2017年の日本の刑法改正では、男性に対する強姦も対象となった。先述のスウェーデンのセンターでは、世界で初めて男性のレイプ被害センターも併設され、トランスジェンダーの被害者も受け入れている。2016年にこのセンターを訪れた患者は、合計717名で、男性はそのうち38名だという。

男性の被害も出ているが、女性の被害が圧倒的に多い。社会における女性に対する意識も変えていくべきだと思う。女性は男性に従属するもの、という考え方や、「(モノが)嫁に行く」といった表現に見られるように、女性をモノ扱いする風習が根強く残っている。男性優位社会は当たり前で、そのなかで多少イヤな目に遭いながらも男性の機嫌をとりながらサバイヴしていくのがスマートな女性、と思われているフシが往々にしてある。

伊藤詩織さんの事件を特集したBBCの番組「Japan's Secret Shame」で、自民党の杉田水脈議員は、伊藤さんには「女として落ち度があった」と語り、「男性の前でそれだけ(お酒を)飲んで、記憶をなくして」、「社会に出てきて女性として働いているのであれば、嫌な人からも声をかけられるし、それをきっちり断るのもスキルの一つ」と語っている(参考記事)。国会議員がこのような発言をして、即刻辞任に追い込まれないというのは、この社会が狂っているとしか思えないが、それが現状なのだろう。さすがに杉田議員のもとには批判が相次いだらしく、自身のブログで弁明しているが、山口氏の主張を無批判に信じ込んだ内容で、真実を追求するよりも「仲間」を擁護することに熱心だ。

脇道に逸れるが、その弁明内容を見ると、いかに仲間擁護ありきでものを言っているかが明らかになる。

まず、伊藤詩織氏は「デートドラッグ」なる薬を飲まされたと言っていますが、証拠は「私は普段からお酒に強く、酔って記憶を失ったことがない。だから、薬を飲まされたに違いない」という証言のみです。彼女はこの件の後すぐに病院に行っていますが、尿検査をしていません。もし尿検査を受け、薬物反応が出れば動かぬ証拠となったのでしょうが、今となっては調べようがありません。
一方、山口敬之氏は昔からの行きつけの店のカウンターで飲んでいて、多くの人の目もあり、薬を入れるのは不可能だったと語っており、その証言に基づいて検察は現場検証をしています。また、所謂「デートドラッグ」というものはインターネットでしか手に入らないということで、検察は、山口氏の持っているPCやモバイルなど全てを押収して調べたが、そういったドラッグを購入したことは一度もないことが確認しています。
伊藤さんはショックですぐには病院に行けず、薬の成分は一回の使用ではすぐに体外に出てしまうと聞いていたため、尿検査は受けなかったという。

寿司屋のカウンターにいて、大勢の客がいるといっても、常に見張られているわけではなく、薬を入れるのは不可能ではない。また、「デートレイプドラッグ」は、インターネットでしか手に入らないわけではなく、病院で簡単に処方される精神安定剤や睡眠導入剤が使われることが多いらしい(前述の長井チヱ子院長の研究による)。PCやモバイルを押収して調べたところで、そうしたドラッグの購入の有無を確実に確認できるわけがない。

更に「無理やり引きづりこまれた」と伊藤氏は証言していますが、ホテルの防犯カメラには自分で荷物を持って歩く姿が確認されています。
防犯カメラの映像では、伊藤さんが意識を失って山口氏に引きずられる姿が映っており、それは警察の捜査で集められた証拠資料の一つであり客観的事実である。誰かのでっちあげをそのまま信じているのだろう。

伊藤氏は翌朝山口氏を気遣う内容と共に「VISAのことについてどのような対応を検討してもらえますか?」というメールを送っています。
だから何だというのだろう。強姦を受けた人間が翌日にこんなメールを打つはずがない、というようなことを山口氏が月刊Hanadaに掲載した手記に書いており、山口氏の言い分を擁護する内容としてそのまま引っ張ってきたようだ。

このメールを送ったときの心情について、伊藤さんは著書の中で次のように述べている。
その夜、山口氏にメールを送った。忘れたい気持ちがあり、これはすべて悪い夢なのだと思いたかった。まだ体の痛む箇所もあり、混乱する頭も麻痺しているようだった。私さえ普通に振る舞い、忘れてしまえば、すべてはそのまま元通りになるかもしれない。苦しさと向き合い戦うより、その方がいいのだ。と、どこかで思ったのだろう。(p. 69)
経験したことはないが、こうした場面でこのような気持ちになり、こうした行動に出ることは自然なことのように思う。

国会議員として、このような事件についてコメントする際、山口氏の言い分を鵜呑みにするだけで、被害者が書いている本を読んで自ら検証しない、というのは非常に問題がある。

国会議員ですらこのような粗雑な発言をされるわけで、当然、ネット上の意見を見ていると、関係者の証言や明らかになっている客観的事実を吟味せず、ウソの情報に基づく憶測があふれている。

この事件の真実を知りたいのなら、被害を受けた伊藤さん本人の手記を丁寧に読む必要がある。伊藤さんが本名と顔を出して性被害を訴えたことについて、おかしな陰謀論を唱えている人たちもいるようだが、なぜそうしたかも、この本を読めばわかる。伊藤さんが望んでいるのは、山口氏との対決ではなく、被害者が泣き寝入りせざるを得ない法律の問題や、捜査、そして社会のあり方を伝え、それを変えていくことだという。大変辛い経験が書かれているが、そのような想いが根底にあるからだろうか、読んでいて力が沸いてくる。

社会を変えるのは簡単ではないし、そうすぐにはいかない。しかし、目を背けずに現状を認識し、それをよりよい方向に変えたいという小さな想いと行動が結集すれば、やがて大きな力になるのではないかと思う。


by 硲 允(about me)
twitter (@HazamaMakoto