『トトロの生まれたところ』(宮崎駿 監修)を読んで。自然を残すために大事なのは「雑木林を見ていてやるということ」

『トトロの生まれたところ』(宮崎駿 監修、スタジオジブリ 編)を読んだ。



映画「となりのトトロ」を初めて観たのはいつだろう。子どもの頃に観た記憶はないが、トトロというキャラクターはあちこちで見て、親しんでいた。トトロのお腹の上で休めたら気持ちいいだろうなぁと時々思う。

トトロの生みの親である宮崎駿監督は、50年ほど前から所沢に住まれているらしく、「所沢に住んでいなければ、『トトロ』は生まれなかった」という。

宮崎さんが毎週末、川などのゴミ拾いをされているというのを何かの映像で見たことがあり、その場所が所沢の「淵の森」というところだと、この本で知った。「かみの山」という山も素晴らしいという。ところが、このままだと「かみの山」の開発が始まるらしく、それを何とか食い止めたい、とジブリの鈴木敏夫プロデューサーに話しているうちに、鈴木さんを案内することになったらしい。

鈴木さんは、宮崎さんの案内で、かみの山を歩き、淵の森を抜け、松が丘を登って八国山へ出る(八国山は映画の中で七国山として登場する)。本書では、鈴木さんによる八国山の散策記や写真が紹介されている。ベッドタウンの街なかに、雑木林のこんな風景が残されていたとは。東京で暮らしていた頃に行ってみればよかった。

本書の大半は、宮崎監督と共に所沢で50年以上暮らされてきた宮崎朱美さんのスケッチ画で構成されている。所沢の春夏秋冬に見られる草花や木々のスケッチは丁寧で瑞々しい。見ていると、ぼくも草花のスケッチがしたくなった。

後半に、宮崎監督へのインタビュー記事が掲載されている。

「今ある自然を未来に残すために、どのようなことが必要だと思われますか。」という質問への回答の中で、「一番手をかけなければいけないのは、たぶん雑木林を見ていてやるということだと思うんです」と話されている。

雑木林の木を切るかどうかでよく揉める、という話もされている。とにかく切りたい人間がたくさんいるようだけど(そういうタイプの人間はぼくの周りにも心当たりがある)、切るべきかどうかも、まずはよく見ていないとわからない、ということだろう。「見ていてやる」というのはどういうことなのか、詳しくは語られていないけれど、単に「見る」というだけではなく、見て対話する、というようなことだろうと想像する。

宮崎さんは、雑木林を散策するようになってから、森の気配(誰かがいるような感じ)を感じるようになり、「今日は知らん顔してるな」とか、来るなと言っているのを感じるときもあるという。

見て、感じる。それをきちんとせずに、人間が自然に手を加えるとろくなことにならないだろう。

ぼくはまだ植物とのつき合いの年数は浅いが、それでも、畑や森に入ると、植物の「声」や「表情」といったようなものをある程度感じられるようになってきた。植物と過ごしていると、いろんなインスピレーションを与えてくれる。

宮崎監督は、映画づくりにおいて、所沢の自然からいろいろなインスピレーションを得られたことだろうと想像する。

鈴木プロデューサーは、前書きの最後にこう書かれている。

ぼくは、宮さんに対して、はじめて畏敬の念を抱いた。歩いて、観察して、感じたであろうその感受性に対して。

宮崎監督が、長年のつき合いの鈴木プロデューサーを今になって初めて、トトロの生まれた森を案内されたというのが意外だった。この森は、身近にいる鈴木プロデューサーにすら普段は見せない心の奥深くにある場所なのかもしれないと勝手に想像を巡らした。


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by 硲 允(about me)
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