野菜に生かされている。


最近のある日の畑での収穫。

端境期のこの頃、畑で育つ野菜は少ないのですが、野草を組み合わせて日々の食を得ています。

この日は、キャベツ、ニラ、人参の葉、からし菜、ヤエムグラ、スズメノエンドウなど…。

農業一本で生計を立てている農家さんは、年中出荷できるように、ビニールハウスを使ったりいろいろ工夫されていることが多いと思いますが、うちは露地のみ、天気と気候と
野菜任せなので、食べきれないほど野菜が育っている時期と少なくなる時期の差が激しいです。

自分のところの野菜が少なくなる時期は、買ってくれば手っ取り早いのですが、昨年の夏から野菜はほぼ自給していて、自分のところで育った野菜と野草ばかり食べていたほうがどうも体調がいいので、なるべくそうしています(応援や研究のために買うことはありますが)。

お米や豆は買ったものを食べることが多いですが、野菜だけでもなるべく自給しようとしていると、食料が少なくなってきたときの危機感、というか、真剣味が違ってきます。そして、人間は他の生きものたちのおかげで生きているんだ、という実感がこみ上げてきます。なんでも買って済ませていると、お金が人間の生命を保ってくれている感が混ざってきますが、お金はそれを手に入れるための道具なだけで、生命を養ってくれているのは、いろんな生きものたちなわけですが、普段から余程想像力を働かせていないと、そういう感覚が希薄になってきます。食材としての野菜は、畑で気持ちよさそうに育っている野菜たちのいわば身体なわけで、それを成長の途中で摘み取って(刈り取って)いただいていると、食べものに感謝しろ、と言われなくても、自然と感謝の気持ちも生まれてきます。

食の教育、というのはいろいろありますが、誰かに「教育」されなくても、日々の暮らしで実践していれば、知識や思いは自然と育ってくるものではないかと思います。そのためには、プランター一つからでも、自分で何かを育てる経験が大事だと思います。ぼくももっと昔からやっていればよかったなぁ、と思うことがありますが、never late than never、始めるのはいつからでも遅くない、ということで…。


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by 硲 允(about me)